留学に行って10年が経った
- bunkeiedison
- 2023年9月30日
- 読了時間: 10分

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途(みち)はないのだと悟ったのです。
───夏目漱石「私の個人主義」(大正3年11月25日)
留学に行って10年が経った。
アメリカのニューヨーク州のロチェスターという町、2013年8月19日から同年12月17日までの5か月ほどの寮生活やった。大寒波の年やったから、風景としては部屋の窓から見た冬の積雪がものすごかったのを覚えとる。 さて、世の中には「家に帰るまでが遠足のうち」なんて言葉があるけど、もしも留学というイベントが遠足をバケモンみたいな規模にしたものと考えられるならば、「家に帰るまで」の部分もバケモンみたいな規模に置き換えて、「帰国してからも留学のうち」、なんて言えたりせんやろうか。漱石が留学中に悟ったことを日本に帰国して以降の晩年までも通じて、自分の筆で文学を作るという形で実践したように、留学の経験っていうのは本来、滞在中だけで完結するものじゃなくむしろ帰国後の自分がどんなふうに過ごすかに影響していくもんなのかもしれない。 おれの場合、半年にも満たない比較的短めのアメリカ留学やったけど、あれからの自分の生活を思い返すと、おれの留学は完全には思い出として切り離されずに、部分的にまだ続いとる気もする。
思い当たるのは、自分の生活を何らかの記録に残すようになったこと。これは確実に留学をきっかけにして始まった習慣やな。
それ以前はTwitterもFacebookも、もちろん紙の日記も、一切やったことがなかった。写真もあんまし自発的に撮るほうじゃなかったし。正直そういうの、やってなければやってないほどカッコいいと思っとったもんな。実は今もそういう硬派なスタンスへの憧れはちょっとだけ心に残っとるけどね。なので10代の頃の出来事や思い出っておれ、ほとんどその頃に聴いてた音楽くらいでしか想起されんのよ。2009年と言えばビートルズのリマスター盤が出た年か、とか、この年はクロマニヨンズのアルバムでいうと何々になるか、とか。
となると、当時の自分、つまり留学以前までで数えると21歳になるまでの自分が、それぞれの年をどう思いながら過ごしてたとか、ある出来事に対してどう考えたとか、そういう思考のプロセスがあんまり今となっては読み返せないんよ。もちろん衝撃的なイベントについては覚えとることも多いけどさ、過ぎ去ってく日々の何でもない生活にこそ、自然な自己の在りかたって根づいとるやん。ティーンのころのそういう自分の思考回路なんて、いちばん今のおれの土台にありそうなもんやけど、それらはもう振り返れんね。まぁ振り返っても痛々しいだけやったかしら。逆にこれで良かったか。
そんなおれがアメリカに留学するにあたって、期間中に撮った写真や旅行記や毎日の日記を1つのwebサイトに記録することに決めた。これが案外5か月間放り出すことなく続いたんよな。だいぶ飽きっぽい性格やのに。
これ、当時もある程度は「将来見返したらおもろいかな」とは思って書いてたやろうけど、その見立て以上におれの中では貴重な記録と化してるよ、今となっては。B.B.キングを生で観たみたいなでっけぇイベントのことももちろん大切な思い出やけど、大学の授業風景とか寮での暮らしとかスーパーで何を買ったかとか、ベンチでぼんやり考えごとをしたことまで載ってて、やっぱりそこにあった日常の暮らしが残ってるのを振り返れるのは嬉しい。
あんまし出来事的には書くことないから、このごろ考えてること、考えないとあかんこと。
授業終了日まで80日になった。
もうほぼ4分の1過ぎたのか。
あせるなぁ。やりたいことめっちゃある。
べつに今までムダに過ごしちゃってるわけではないけど、あせる。
でも慣れすぎてダレはじめるころかもしれんな。
いまの時期に課題連続してて良かったかもね。
いい感じにダレるスキが無い。
あと日本で大学入ってからどう過ごしてきたかも思い返してしまう。
どう授業受けてたとか、暮らしかたとか。
そんでちょっと後悔する。
なんか本気でやったら1年でできたようなことを2年半かけて中途半端にこなしたような気がする。
楽しいこともあったけど、なんかずっと異様に疲れてたし、たくさんミスったりもしたし。
このタイミングで海外出たのはよかったかもしれん。
そんでこれが終わって帰ってからのこともぼちぼち考えないと。
戻ってから卒業するまで、また前とまったく同じふうなんになるのはいや。
でも留学帰りの奴によくいる、何でもかんでも海外かぶれになんのも違う。
どっかのぶぶんを変えてなんかせんとあかん。
寒いなかベンチ座って、ぼーっとして、あっ宿題せなってなって、部屋帰る。
───skmtbampaku@NY「かんがえること」(2013年9月24日)
漱石が留学中の思い出で的確に表現した、「あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持」っていうのは、そんな大層なレベルではないにしても、このころのおれにもあった気持ちなんやなぁって思うよ。ほんでこれは10年経った今のおれ自身やって、大学生活や学問的な将来みたいなフェーズじゃなくなっただけで、まだ何らかの「嚢の中」にいる感じがすることがある。
おれは今もやっぱり何らかの「錐」を探しとる気がする。やっと袋を突き破ったら、もうひと回り大きい袋の中にまだおるんよ。10年前の自分は知る術もないことやけど。
留学が終わって帰国してからもSNSを始めたり、年を取るごとに別々のwebページを作ったり、何なら曲も書いたりするようになって、自分の日々の生活を残すという習慣はおれの中に継続して残った。やからこそ、袋の中でモゾモゾしとる気分になって「どうすりゃえええんやろ」と感じたときも、自分が過去に詰められてた袋のことを見返すことができるんよ。別にそうすることでうまいこと袋を突き破るための錐が見つかることもないんやけどさ、「何や、あのころもモゾモゾしとったんかぁ」って思えると、何か不思議と安心したりする。やっぱ繰り返しになるけどさ、昔にも泥っぽい生活があったと実感できるってだけで、嬉しいんよ。
「学生時代のほうが悩みが無かった」とか、「子どものころに帰りたい」とか、何なら将来的に「30代がトータルで見て遊びのピークやった」とかさ、過去の思い出や栄光が輝いて見えるのは、楽しい時間や美しい場所でシャッターチャンスやと思って撮った写真でしかそれらを振り返らないからやと思うんよ。それでいてその残された写真もさ、たぶん撮った当時は「もうちょっと良い画角あったよな」とか、「アイツもいるタイミングで撮りゃ良かった」とか、何かしら最良の瞬間から離れたもんやったりするはずやねん。どうせ何もかもパーフェクトじゃないんやからさ、思いっきりてんでダメ、ブレッブレのピンボケの写真ですら残しとったほうが、あとあと嬉しくなるかもよ。「あのころも撮るに足らん瞬間はあったよなぁ」って写真が実は貴重やったりする。
なのでおれは10年経った今でも、自分の大したことない生活や物思いをいろんな形で残したいと思っとる。
あとは真面目な側面でも振り返っとくと、おれはこの留学を経てからもともと考えとった大学院への進学とか、大学での研究で食ってく展望とかを、考え直すようになった。何も漱石みたいに「つまらない」「腹の足しにはならない」なんて思ったわけじゃなくって、それはひとえにおれの興味分野やった「ナンセンス文学」とかいう変テコなもんを勉強するっていうことの特殊性を、より深いところで考えるようになったからなんよ。
英文学を専攻するおれがアメリカの大学に留学したのは、(アメリカで暮らしてみたいっていうどストレートで主要な動機を抜きにすれば、)ちょうど漱石も「私の個人主義」の講演で言うとったけど、英文学の鑑賞にあたってはそれが生まれたイギリスの風俗や文化や価値観を共有してるかしてないかで着眼点や感受性に差異が出るやろうから、イギリスからすれば日本と同じく「外国」であるアメリカで英文学の授業にふれるほうが実は日本人のおれの身になるんじゃないか、っていう考えがあった。
こういう文化とか価値観の土台の共有の有無っていうテーマは、特におれの好きな「ナンセンス」では絶対的に重要な条件になるんよ。なぜならナンセンスは常識があってこその非常識を面白がる分野やから。例えば箸を使ったことない文化の人とラーメン屋に行ったとして、食前に箸を割って片方だけ渡してあげたとしても、「なんでやねん!」みたいなツッコミは返ってこないでしょ。アメリカでの勉強を通して何となく、この「大前提の共有」っていう条件が、英文学としての「ナンセンス文学」を研究し通していくには今後一生引っかかるんやろうなぁって思うようになったんよね。
そんで結局、おれはどっちかと言うと英文学っていう文脈に限定した「ナンセンス文学」じゃなく、どんな文化圏でも常識の共有がある限りその圏内で発動する「ナンセンス」っていう思考そのものに興味を持つようになった。またこの転換によって、おれの関心の舞台は19世紀のイギリスに固定されずに、自分の生まれ育った現代日本でも十分機能することにもなったんよ。そうなったら将来的にも、日本のどこかの大学にこもるより、市井に出てごく普通の社会人として暮らすほうが、日本人としてのナンセンスの大前提になる現代社会の一般常識を蓄えれるやろうってことで、今も何とか普通らしく日々働いとるところ。まぁ、これがいちばん難しいんやけどね。
この変化もたぶん、アメリカではアメリカの常識が働く、っていうのをいろいろ知った10年前の留学をきっかけに起きたことやなぁ。
今日の文章は短めにしようと思ったけど、ちょっと長くなっちゃったな。とにもかくにも、アメリカ留学をもとに変わったことが、10年経ってもおれの暮らしに息づいてたりする、っていう話。
アメリカと言えば、こないだ久々に南部へ旅行も行ってきたよ。写真も文章も残っとるから、またできるだけ細かに旅行記を書くよ。
その記録はきっと、相変わらず何らかの袋の中でモゾモゾしとるやろう、将来の自分のためにもなるから。
コメント