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  • 執筆者の写真bunkeiedison

冷蔵庫の残りでとりあえず作ったもんでも少なくともおれが食うぶんには美味いし、身近な連れぐらいにやったら出せると思う






・・・聡明で健康的だとは言っても、まだ世間に揉まれ十代の若い女性が、頭でわかってはいても、彼女にもたらされた「虐げられた幸薄い女」が憑依してしまうのは、避けられないことだったのだろう。おまけに「圭子の夢は夜ひらく」は、まず歌のタイトルに「圭子の夢は夜ひらく」と自身の名前すら付けられてしまっていた。
・・・そう、才能の早期発見と育成は、歌という魔物の前では禁じ手である。

───湯山玲子



 めったにしなくなった読書とかもそうなんやけど、おれって最近はあんまりテレビも見なくなったからさ、たまにふと脳裏に浮かぶテレビ番組の思い出が、10年前やら20年前のもんやったりするんです。「よう覚えてんねぇそんなこと!」って驚かれることもあるけど、何を隠そう、ただ昔見たものが新しい景色に上書きされてないだけなんよ。


 そんでさ、まだおれが高校生くらいのころかな、関西ローカルの夕方のワイドショーの中で「シェフvs主婦」っていうコーナーがあってさ。一流のシェフと一般応募の主婦が、同じ1つの料理をお題にして、同じ予算で食材を買って、同じ制限時間で作って味を勝負すんねん。果たしてプロの腕に暮らしの知恵が太刀打ちできるのか、みたいな。ダイアンがロケ担当やっとったから、たまに見てた。印象に残っとる回とかが特別あるわけじゃないけども。


 う〜ん、なんでそんな番組のことを突然思い出したんでしょうか。せっかくやから、今月はこれを起点に文章を書こう。



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 プロの料理人はそもそも厨房の冷蔵庫に、その店のメニューに必要な食材だけを必要な量しか入れないわけで、家庭によくある「変に余らしたコレとコレで一品作ろうか」みたいなノリは少ないんかもしれんね。むしろ、そういう機会が無いことこそプロフェッショナルである証拠、って感じがするよ。それって店の人気と自分の実力が生み出す需要と供給の量を正しく把握しとるってことやもんな。高級なとこほど消費期限とかもシビアにやっとるやろうし、冷蔵庫にはお客様向けの料理として初めから使用目的や献立が確定した食材が無駄なく揃えられるんでしょうね。


 これが面白いことに一般家庭の料理の場合は、急に飲み会の入りがちなお父さんや連絡もなく勝手に学校帰りにファミレスに行きよる年頃のお子さんが起因のイレギュラーがどんだけ起こっても冷蔵庫の中の食材を賞味期限内に(←場合によっちゃ多少切れてても)美味しく活かし切る、そんな応用力を持ったお母さんほど、賢いお料理上手とママ友界では絶賛されることやと思う。やから、日々のお買い物で冷蔵庫に入れる食材を選ぶときも、「まぁコレは余ってもこうしたら使えるかな」とか、融通の利くチョイスをするんじゃないかしら。それに家庭の場合は必ずしも、よそのお客様にお出しするクオリティーの料理が常に求められるわけじゃないもんね。おつとめ品でもたまの贅沢品でも、うまいことやりくりして家庭料理メインの台所を切り盛りする、みたいな。

(※別に台所仕事が一般的にお母さん担当や!みたいな意図は無いよ。)


 こう対比してみると、シェフと主婦の料理観って対照的で、本当にプロレスとアマレスくらい違うもんなのかもしれん。それを戦わせるなんて、あのテレビ、今思うとけっこうイカれた企画やったんやなぁ。料理バラエティー界の地下格闘技かな。



 ところで、これは何も料理だけの話じゃなく、何かを「創作する」っていう営みにおける、プロ/アマの意識の違いを表せそうな気もするんよ。


 ジャンル問わず創作行為っていうのは総じて、「素材」と「作者」と「作品」を伴っていて、どれか1つでも欠ければ、それはおれの中では創作行為とは呼ばんことにしてる。

 例えば今まさに、この文章を書いてること自体をご大層に1つの創作行為と捉えるなら、この文章の素材のメインは間違いなくおれの記憶の中にあった「シェフvs主婦」のことでしょう。作者は言わずもがなこの私、作品は今書いてるこの駄文。ようやっと全体の半分くらいかな。

 ここで仮にもし、おれがこの場合における「作品」を欠いたなら、つまりこの文章を公開中止したりPCや脳の記憶から消去したりしたら、それまでの行為はもう創作じゃなくって、ただ31歳の男性が日曜日の昼下がりに人知れず物思いに耽っただけになるんよ。そんなもんを創作と呼ぶんなら、おれがさすがに人には言えんと思って頭の中に留めて膨らましとる空想も、もっと言うと寝てるときに見る夢でさえ、何もかもが創作行為になっちゃうよ。


 さて、素材・作者・作品の三位一体の構造自体は、あらゆる創作行為の定義として不可欠だもんで、この段階ではみんな条件は同じ、プロフェッショナルもアマチュアもクソも無いとおれは思っとる。

 じゃあ創作において何がプロをプロ、アマをアマにさせるのか?…そう、それこそが「冷蔵庫の使い方」や「料理のレパートリー」なのだ。次の段からやっと本題に入ってく。



 自分の中のイメージでやけど、おれが何らかの創作をするときはいつも、まず冷蔵庫にしまってある多種多様な素材をいろいろと漁ることから始まる。

 今日で言えば、庫内の隅のほうで腐りかけてた大昔の関西ローカル番組の思い出を見つけた。ただしそれだけやとあんまし美味しそうじゃなかったから、冷蔵庫の手前のほうにあった、比較的新鮮な最近の考えごとも材料に使うことにした。

 これらを混ぜ合わした素材をもとに何を創ろうかと考えたところ、何となく説明量が多くなりそうやし、前回書いてからちょうど1か月くらい経っとるし、まとまった文章量を確保できるエッセイのフォーマットで仕上げんのが最適か、ってな考えになって、今こうして執筆しておる。


 ただし今日はたまたまこういうまとまった文章の形で表現したってだけで、クリエイティブ系の趣味が雑食な(←カッコつけてるけど要は実力が無いので広く浅くいろいろ創作するってことやね)おれの場合は、素材によって料理の献立はかなりフレキシブルに変動する。この記憶は曲の歌詞にしたらハマりそうやな〜と思えばそうするし、この感情は激情のままいっそアホみたいなイラストにでもしたろか!ってときもあるし、コツコツと時間をかけてエレキギターみたいな工作に取り組むことだってある。実感は無いけどおそらく、自分の中で「コレはこう料理したほうが絶対美味い!」みたいな作品のフォーマットの選定が、創作のプロセスの一環として自然と含まれとるんやと思う。


 そういえば、お互い表面的な付き合いしかしてない人たちから、「いつも穏やかそうにしてますけど、他人に対して怒ることってあるんですか?」みたいに尋ねられることがたまにある。確かにおれはそうそう人にキレることはないけど、それって別に「おれが普段ブチギレる感情を我慢して無かったことにしてる」ということではないんよな。何かさ、家に友達が遊びに来たときオカンがカレーばっかり出してたら、ある日そいつから「お前ん家って箸とかちゃんとあんの?」って聞かれるみたいな、そんな状況に似とるわ。

 もし、人間関係におけるコミュニケーションや会話も、自分の顔で作った表情や口から出た言葉を作品と見立てることである種の創作行為と見なすのならば、おれは自分の冷蔵庫の中に入ってきた負の感情とか怒りとかを、「日常会話」という作品の素材として料理することがめったにない、ただそれだけなんです。なのでおれと世間話という形でしか交流しない人々は、普段のおれの発言や表情の中に負の感情を見つけにくいんじゃなかろうか。そんな心配などされずとも、気の長い性格のおれが珍しく抱いたブチギレという素材は、短絡的にその場の会話で浪費することも、逆に腐らせたり捨てたりすることなく、音楽を作るときや変な絵を書くときやエッセイを書くときに、高級スパイスのようにちゃ〜んとちょっとずつ、混ぜて使っとる。そういう料理をした作品は、おれの人となりを知っとる友達にしか出さないからね。多少辛くっても平気やろ、と思ってこっちも作れるんやろな。


 話を戻して、何が言いたかったかというと、創作行為におけるおれのそんなふうな冷蔵庫の使い方や料理のレパートリーの選び方って、ものすごく家庭的というか、THE・アマチュアなんですよ。とりあえず冷蔵庫に入ってるものは何でも使う、どんな料理にするかはTPOに合わせる。その結果として、作者たる自分が自分の中に保管してた素材をできるだけ腐らせることなく、生活の中で何らかの形の作品に昇華し続けとるんであれば、おれは庶民的な意味で「賢いお料理上手」でいられてるんやろうな。たいてい自分、ときどき友達、そしてごくごくたまには外のお客さんを相手にできる程度の創作を料理できること。アマチュアの芸術家としては最高じゃないか。

 良かった良かった、この様子ならこれからもヘボ作家らしく、働きながら暇見つけてせいぜい芸術やってけそうやなぁ。



 しかしこれが、プロアーティストの創作行為となると、話は丸っきり違ってくるんやろうな。例えばプロのミュージシャンならその生業とする音楽の冷蔵庫、作家なら文筆活動のための冷蔵庫、映画監督なら映画の冷蔵庫…彼らはみんな、好きでそのお店に通ってくるお客様の期待する味や品質を確保するために、その業務用の冷蔵庫(ホシザキ製かな)の中身は質・量ともに厳選、コントロールされてないといけないわけよ。そのうえで、その冷蔵庫で保存された素材を、店が出しとるメニューの範疇で、つまりそれぞれがプロとして選んだ領域のフォーマットに限定して料理することになる。その他客に出せない程度の素材や料理は全部、彼らのプライベート用の冷蔵庫でまかなわなあかん。その線引きは要る。だってひとえに、アマチュアと違ってプロはお勘定もらっとるから。


 例えば「昔やってたネタで未だにイジってくるファンは迷惑や」とイラついてるお笑い芸人がいたとする。それはアマチュア的な見地では、確かにお気の毒やなと思えるよ。けどプロの世界なら、金を出した上で昔の味を期待してるお客がいる以上、全力で昔の味で応えるほうが本当な気がする。そういう客と関わりたくないんならいっそ、解散でも改名でもして暖簾を変えるか、店の冷蔵庫の中身をザックリ入れ替えてもっと美味い新メニュー、新ネタを作って黙らせるか。現状で出しとる味に対して金を払いたくないから、昔と同じだけの金を払うレベルに無いから、懐かしいままの味をせがむ客がいるんやなって反省して対策立てんのが、カッコいいプロじゃないかしら。

 また、プロの芸術家が何かしらの悪事を働いとったことが分かったとき、「作品に罪はない」って声が上がることがある。こういうケースを目にしたときも、おれは冷蔵庫の概念を持ち出してしまう。さっき書いたとおり、創作には素材・作者・作品が三位一体で等しく必要やから、作品に罪がないと言いたい場合は、「創作しているときの作者」「作者が創作に取り入れた素材」のどちらにも罪がなかったことを示さなあかんと思うんや。料理に毒が無いと言い切るためには、それを作ったシェフの手にも、食材の入っとった業務用冷蔵庫にも、そもそもの食材にも毒が無いことを証明する必要があるでしょう。

 おれの好きなブルースマンやロックンローラーの中には思いっきり犯罪しとるプロも、そう言えば少なからずいる。おれは大好きな音楽のエネルギーを前にするとそもそも作品に罪がどうこう云々なんぞ考える余裕が無いんやけど、そこんとこを今日は珍しく精いっぱい言語化するなら、そう、全ては冷蔵庫の違いなんよ。そのロックンローラーがロックンロールをやっとるとき、「あぁこの人、頭ん中にロックンロールしか無いなぁ」とか「こいつ、ロックンロールが好きで好きでしゃーないんやろなぁ」って人は、上等でピカピカのロックンロールの冷蔵庫に、自分が犯した罪なんかごちゃ混ぜに放り込んでないんよ。そいつ自身のしょーもない犯罪はきっと、そいつのプライベートの、さびれたボロい冷蔵庫の中にあるんよ。ほんならとりあえずロックンロール聴くぶんには良いじゃないか!と思っちゃっとるんやろうな、わしはいつも。

 それと、あんまり縁起でもないけども、プロの俳優が自分の芸に行き詰まったことを理由に自殺するなんてことがあるんなら、それは業務用の冷蔵庫に自分の許容できる品質の素材を確保することができなくなったのか、それとも創作の世界での出来事に没入し過ぎちゃって、自分だけのプライベート冷蔵庫にまでプロとしての感情が侵食してきてしまったのか。アマチュアの身分からすると想像できないレベルやなぁ。


 というわけで、あれこれ例えも出したけど、アマチュアの芸術家がプロフェッショナルの道に進むとき、踏み上がる階段は単に「お金をもらうかどうか」だけじゃないんやと思う。「業務用の冷蔵庫があるかどうか」なんよ、重要なのは。わりとマジで。



 さあ、今回のお話最大の論旨は、創作行為の最小単位が「素材」・「作者」・「作品」であって、その枠組み内にはプロやアマの線引きが無い以上、その両者を明確に分けるのは決して材料の質や人間の才能や成果品の完成度じゃなくって、その三要素に付随する「冷蔵庫」・「料理」の種類による差異である、ということでした。

 究極で言えば、仕事としてお金に替えれるような食材を厳選した料理を出し続けるか、手に入れられる食材を何とかかんとかして腹壊さん程度のメシを美味しく食うか、その2択間のどっちの料理ショーなんや、プロアマの垣根は


 もちろん、どっちがええとかどっちが偉いって問題ではないと思うよ。シェフの料理のほうが主婦の料理よりよっぽどスゴい!なんて、今の時代に言う奴おらんやろ。

 何かを創れる人は、みんなスゴくて偉いんや。芸術を始めどんな創作活動でも、それは一緒やと思う。おれの創作におけるモットーはいつでも「人間の業の肯定」であって、本当は家庭用であろうと業務用であろうと冷蔵庫にどんなヤバいもんが入ってても気にしないんよ、ただただそれを食ったときに食当たりにさえならなければ。食えるもんを創れる人はそれだけでみんな一流コックさんやと思とるよ。



 ほんで「シェフvs主婦」って、主婦が勝つ回も普通にあったよ。




 


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