この夏はトランペットをたくさん吹いた
- bunkeiedison

- 2025年9月12日
- 読了時間: 11分

民具には動作と矛盾のない形状が備わり、それを手にすれば行為が誘発される。
───国立民族学博物館「民具のミカタ博覧会」より(2025年3月20日〜6月3日開催)
はじめに
今年の3月頃やったかな、この夏が始まるもっと前のこと、大学時代の軽音部の後輩が結婚パーティーに招待してくれた。新郎新婦ともに在学中からおれによくしてくれとった後輩どうしの結婚。ふたつ返事で行かせてもらうよって答えた。
そんで、結婚パーティーは彼ららしくライブハウスでやるみたいで、出演するバンドも募るとのこと。せっかく関西から東京まで行かせてもらうんやし、枠に空きがあるんなら何かしらお祝いにできたらええなぁと思った。初夏を迎える頃には、同じく遠征する予定の大阪組からおれの面倒を見てくれるメンバーをありがたいことに集めることができて、その希望が実現される運びになった。
本番当日は9月の頭で、それまでにはちょうどひと夏ぶんの準備期間がある。
「ほんなら、」とおれは何となく思いはじめた。「トランペットの特訓して、人前で吹いてみようか」。
トランペットと私
実はトランペットという楽器とは何も、そんなパッとした思いつきだけで付き合い始めたわけではない。
コロナ禍の前後くらいにミーハー心で安い中古を買ってから、この山に近い家での暮らしで、たまに裏山に出かけては自分なりに練習しとった時期がある。その頃の仕事は夜勤もあって平日の昼間に手が空いてる日が多くて、人の少ない見晴らし台でばかみたいに下手くそなトランペットを吹くのも暇つぶしになった。
しかしある日、見晴らし台を通りがかったおっちゃんに「やかましい!」と怒られた。その様子を遠巻きに見とった散歩中のおばあちゃんに慰められつつ、すごすご退散。その後しばらくは傷心のままにチャリや原付やクルマで別の山や河川敷に出かけては人目を盗んで吹いとったものの、転々と変える練習場所までの距離と比例するように、おれの生活はトランペットから離れていった。ついでに言うと、あの頃と仕事も変わったしな。
そういう切ないバックグラウンドがあったうえで、今回のパーティーで披露するために久々に練習してみっか、という思いつきにつながった、というわけ。
血のにじまない努力の日々
お察しの通りおれは音楽がめっぽう好きなんやけど、演奏するって話になれば、担当するパートはギターもハーモニカも、そんでもちろんボーカルも、ぜんぶ言わば、「鳴らそうと思えば鳴らせる」楽器ばかりを嗜んできた。
弦を押さえたりはじいたり、穴に息を吹いたり吸ったり、マイクに向かってばかみたいな声を出したり。そういう行為自体は、(おれが身体に恵まれたおかげでもある話やから「当たり前に」とは表現せんけど)経験や訓練や知識の有無に関係なくクリアできるレベルのステップなんよね。何につけても初見で器用にこなせるタイプじゃないおれには、この音が出るまでのハードルの低さってのは、けっこうありがたいんよな。ひとつ目の段差でつまずくことが無いってのは。
けど、トランペットは違うんだよ。スタート地点でまず音の出し方からようわからんのよ。「口をこういう形にして、息をこういうふうに吹いたときの唇の振動で…」とか教則本にイラストが書いてあんの。もう、何なの。
そりゃあギターでもボーカルでもさ、実際は突き詰めて考えれば音を出すまでの過程には本来、(たまたま赤ん坊の頃からの積み重ねで無意識にこなせるようなっただけの)筋肉とか声帯の複雑な動作も絡んでるんやろうけどさ。トランペットの場合は、初心者にはそういう第一関門で「あ、そこは今までの人生で腐るほどやってきたので出来ますよ〜」みたいなスキップが許されないんよな。
なのでどうしてもトランペットには、その第一歩のハードルを低くしていくために、単純な話、反復による練習量が要る。曲のメロディーを吹けるように練習する前の、そもそもの音を出すための練習、みたいな。いや、ほんとはエレキギターとかでも、マジで上手な人はそういう練習からちゃんとやっとるんやで?軽音時代の仲間でも、そこに向き合って乗り越えてきた人はいっぱいおって、おれは彼らをひとえに尊敬する。つまりはおれ自身が何につけても練習らしい練習というか、練習のための練習みたいなことが苦手なだけの問題なんよな。それも性格かぁ。
ほな、このばかな不真面目はどうしたら伸びるんや?ってところでおれは発想を変えて、ふだんの生活にエキストラな練習時間を追加して設けるんじゃなくって、ふだんの生活の中にトランペットの練習を溶け込ませることで基礎の練習をこなすようにした。具体的に言うと、通勤用の車のダッシュボードに、トランペットのマウスピースを放り込んだったんよ。
毎朝反対車線に見かけるおれと似た軽貨物車に乗った職人の兄ちゃんが必ずアイコスを吸いながら信号待ちをしとるように、おれはマッピを口元にあてながら信号待ちをする。そう、この夏おれは、カーオーディオで流したトランペット初心者用YouTubeの音声とともに、ばかみたいにマウスピースをプーピープーピー言わせながら、山を越え行く片道1時間ほどの車通勤を反復した。ときには猛暑の車内でアチアチになったマッピをフーフーしつつ、「なんか今日はええ音出た!」「なんか今日はぜんぜん鳴らん!」の繰り返し。向こう側の車線から見たら、「あいつ何か口にあてとるけど電子タバコに変えたんかな」「えらい力入れて吸っとるな」とか思われてたかもしれん。
そんで、ある程度の音まで出るようになってからは、休日に家でもマッピをトランペットに着けて吹くようにした。音に気をつけなあかんときは、ヤマハ製の自分の出しとる音がヘッドホンで聴けるミュートみたいなのを取り付けてやってたけど、あれもなかなか吹き込む空気に抵抗ができる感覚がしてちょっと違和感があんねん。なので、何回かはドライブがてら山のほうへ繰り出して、野の中で思いっきり吹いたりもした。トランペットバカの数年ぶりの山への凱旋。闇雲に吹いてたあの頃とは基礎練の量が違う。
昔おっちゃんに怒られたとき、通りすがりのおばあちゃんが遠回しにおれに言ってたんよ、「上手な音やったらまだアレやけど…きみのはちょっと途切れ途切れでしょ?やから聴いてる側は…」的なこと。当時は心の中で「でも練習ってそもそも下手くそな音しか出ん奴がするもんやろ!」ってふてくされてたけど、そやな、今思うと当時はおれの生活にトランペット練習が無かったんよな。やから基礎が身につかなかったし、根っこも無しに気晴らしに適当に吹く音はさぞ、耳障りに聴こえたんやろうな。
そんで、7月下旬くらいには、バンド練習のときにトランペットを持ってって吹く段階にまでいちおう到達した。みんな「吹けてる吹けてる」励ましてくれた。おれも「吹ける吹ける」言い聞かせた。とにもかくにも完璧ではなくてもええ、バンドで演奏するのが楽しかったし、そもそもお祝いの晴れの場やし、いろんなことの邪魔にならんように吹けたらええな、と思った。
そこそこ実力どおりの本番
そんでつい先週のこと、いざパーティーへ。荷支度に難儀したなぁ。エレキギターとペダルボード代わりの革かばんはいつもの荷物やけど、今回はトランペットのかさ高いケースもある。まあしょうがない。ブルースマンの荷物はでかいのだ。
ライブ前日に東京に向かうつもりにしとったが、台風の影響をやや受けた。と言っても出発が想定より30分遅れた程度で済んで、去年結婚した後輩夫妻の家に想定通りに泊めてもらった。美味しいごはんと無限に冷蔵庫から出てくるちっちゃいワンカップ酒を与えられて、移動疲れはすっかり回復した。
この夜はいろんな話をした。この後輩はパーティーでボーカルをすることもあって、最近ボイトレに通っとったんやって。偉いなぁと思った。ボイトレが偉いのもあるけどさ、第三者に客観的に何かを教わったり助言を受けたりしてその何かを上達させるっていうことが生活にある、それそのものが偉いと思ったんだよ。おれらは毎年ちょっとずつ確実にじじいになっていく。齢をとるにつれて、自分の中のもともと頑固なこだわりがあった部分は、よりいっそう他人の声に耳を貸さなくなってくかもしれん。けど、習い事っていうのはそういう傾向に歯止めをかけ得る習慣やと思うんよね。「人に教わったら前より上達した!」みたいな手ごたえを感じる経験が他の実生活面にも影響して、「まぁこの若造の意見も聞くだけ聞いとくか」っていうスタンスを保てるんちゃうかなって。実はおれも今年はトランペット教室に行くのもアリかなって思ったこともあってん。でも人見知りやし、体験レッスンとか恥ずかしくて行けんかってん。ださいなぁ。トランペットが下手くそでもええけど、シャイで頑固なだけのじじいにはなるなよ、おれ。
明くる日に代官山のおしゃれなライブハウスへ向かう。午前11時から夜の8時くらいまでやったかな、一日通してめでたい宴やった。久々に会う友達もいたし、何よりおれは人が演奏してるのを見るのが好きや。新郎新婦を代表にみんなめっちゃ上手やもんな。ギターをバリバリと弾く後輩を見て「はぇ〜」ってなる感じも懐かしかった。好きな楽器や音楽の話もできた。そんで酒もいっぱい飲めた。この日はオリオンビールが無限に与えられた。
楽しくてへらへらしちゃってたからあんまり演奏のことは深くは振り返れんけど、おれらのバンドは夜の7時過ぎくらいの出番やった。中入り休憩のときに近所にあった銭湯に浸かってくつろいだこともあって、元気に本番を迎えられた。あったかい雰囲気でやりやすかった。面識の無い子もいたけど優しかった。
トランペットは、本番中もみんなが「吹けてる吹けてる」励ましてくれた。おれもこの期に及んでなお「吹ける吹ける」言い聞かせた。撮ってくれてた映像を見返すと、あんな酒飲んだくせにまだ力み過ぎた吹き方しとるなぁ。そんな無理に高音出そうとしてもドツボなんだよ、YouTubeにいるトランペットの先生たちもあんなに言うとったやんけ。
おれはボーカルとかでもよく、せっかくのライブハウスやしでっかい音で盛大に聴かしたれ!みたいに不必要に力んだりするんやけどさ、それをトランペットでしようとしてもまぁ、そりゃ上手くいかんわねぇ。だってこの楽器、まだおれの身体の一部みたいになっとらんもん。上手い人はきっと、トランペットに合った口の形と言うか、何の意識も無くこの楽器を操れるようなフェーズに入っとるんやろうなって、YouTube見てても感じる。おれはまだまだそんなふうに思い通りには鳴らせんねんから、あくまで基本通りを心がけるべきやった。まぁ、画面の中の酔っぱらいに言うても意味無いけどね。
それでもまだ、ソロパートの後半くらいはちょっと落ち着き直して音は外さんように吹けとったな。ほな出だしからそうせえよ。けど言い訳にはなるものの、トランペットって吹きはじめがめちゃくちゃムズい気がするわ。もともとの楽器の音もでかくて目立つから、軽い助走みたいなことが出来ひんのよな。カッコつけたジャズの演奏でばかみたいに長尺のソロを吹いてるトランペッターって、もしかしてみんな不安やから長い時間取っとるんちゃうんか?とさえ何度か思ったよ、この夏は。出だしでマッピにあてた口がイマイチやったらそのあと全てが崩れ去るってパターンも考えられた点では、出だしミスっても何とか持ち直した本番のテイクは、完璧ちゃうけど努力した成果はそこそこ感じられたよ。
というかほんまはトランペットのことだけを抜き出して振り返るなんて無価値でどうでもいいことでさ、当初の目論見通りバンドが組めて、お祝いの日に楽しくやれたってだけで、満点やねん。初めから終わりまでええ日やった。新郎新婦にあいさつをして、ライブハウスをあとにしてからは場末の飲み屋で少数のおっさん同士しょーもない飲み直しをしてから完全お開き、再び後輩夫妻の家に帰った。撮っておいた旦那の歌っとる映像を奥さんに見せてあげた。ボイトレの効果あった思うで。
おわりに
結論としては、トランペットは簡単に音の出る楽器ではなくてそこに苦労こそすれ、そのおかげでこの夏は面白かった、と思えるようになったよ。
車中でルーティーン的にマッピを吹くことも、その日の調子が分かるようで楽しかった。やっぱり肉体労働で疲れ果ててるときは音も鳴らしにくかったもんな。あとは簡単に音が出えへんからこそ、周りから「できるできる」って励ましてもらえたりしたし、マシなテイクが吹けたときには嬉しかったり照れ臭かったりした。子どもの頃、補助輪無しでチャリに乗る練習をしとったあの感覚に似とる。
せやな、大袈裟に言えば、おれが「トランペットの音が出ない」から「音は出る」、そんで「メロディーになりつつある」とかを経由して「まぁ下手には吹ける」とか要所要所のハードルを越えていくときの思い出が、単なる自主的なトレーニングっていう固いもんじゃなくて、バンドで楽しみながらがんばった、お祝いの席でみんなに聴いてもらったっていう、至極明るい思い出の形にできたのが、めっちゃありがたかったんやな。
おれの根気の弱い性格からしたら、この夏が無かったら、まだもうしばらくトランペットを触らん日々が続いとってもおかしくなかったもん。
おれの通勤用のハイゼットには、今も変わらずマウスピースがコロンと置いてある。めんどくさくて回収し損ねてるわけじゃない。このルーティーンは継続や。めでたい夏の思い出はこんな形でも残った。
それにここんとこ何日かさ、通勤のたびに口をあてるええ位置が見つかっとる気がしてんねん。これもこないだの本番の動画で自分が吹いてる姿を外側から振り返れたからかもしれん。新発見。
上手に吹くにはまだ何十年かかるかもしれんけど、上手くなったらまた聴いてください。それまで何十年みなさんお幸せに、やな。
あっ、今思い出したけどライブの当日、本番終わってから鍵盤弾きの友達がおれのトランペットを初見で吹いて、見事に高音を鳴らしとった。この文章全てが無になるから、才能の差を見せつけてくるのは勘弁してくれ。







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