さよなら「サンテ・ド・はなやしき」
- bunkeiedison

- 2月19日
- 読了時間: 12分
更新日:2月20日

Costly thy habit as thy purse can buy, but not expressed in fancy — rich, not gaudy, for the apparel oft proclaims the man.
買えるだけの最高の服を身につけなさい。ただし、派手さではなく、上品さを表現すること。服装はしばしば人柄を物語るからだ。
───ウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」第1幕第3場(1601年頃)
よく「衣食住」って言葉が、人にとって欠かせない要素を表すもんとして使われる。
この3つがおれらが生きるうえで大切やねんっていう話は、何も単純に衣服や食事や住居が生活の基盤となるんやっていうエッセンシャルな必要性から来るもんだけじゃなく、それぞれがその持ち主の人間性というか人となりを決め得る影響力をはらんどるからこそ、叫ばれるんじゃないんかと思う。その証拠に、「服は人を作る」でも「食事は人を作る」でも「家は人を作る」でも、そんな文章をネット検索に打ち込んで調べてみるだけで、それぞれもっともらしい格言やありがたいコラムがいっぱいヒットするもんね。かしこまった表現は巷で謳われとるそれらの文章たちにお任せするとして、自己流にわかりやすく言うのならば、昨晩飲み食いしたもんによっておれが今日出すうんこのにおいも変われば息も酒くさくなるし、そのせいで下がりかけた周囲の好感度は身につけるファッションの着こなしによって取り繕えることもあるし、そうした挽回のチャンスはクローゼットのでっかい家に住んどったらより恵まれるかもしれん、ってことよ。ひどい例え!
ところで、衣食住の中でも住まいっていうのは3つの中でいっちゃんケツに挙げられとる割には、先に来る衣服や食事のほうにも影響を与える要素な気がするんよな。自分の「住」に洗濯した服をちゃんと干せる日当たりとか、(さっきも書いたけど)たくさんの服を十二分に収納できる間取りが確保されておれば「衣」が、また一方で自分の「住」にしっかりしたコンロや調理スペース、はたまたでっけぇ冷蔵庫を置ける余裕があれば「食」が、それぞれ充実され得る基盤が生まれるはずやんか。何なら似たような因果関係は衣食に限らずで、車庫の無い家に住んでたら車やバイクをいじったりしにくくなるかもしれんし、植木鉢を置くベランダが無ければそもそも植物を買おうとしにくくなるかもしれん。もちろん逆に好きな趣味を実現するためにそれありきで「住」の規模を決めるって人もおるやろうけど、まぁどっち向きのベクトルにしろ、とにかく人にとって住む家っていうのは、自分の行動や嗜好の出だしに関わるフロー図の第一歩におる感じがする。もしかすると「家は人も服も食事も作る」、なのかもね。
ほんで、「住む」という営みで言えば、その規模は家の中だけにもとどまらんくてさ、住む「街」やってそうじゃんか。都心に住めばその人の生活の中での運動量は減るかもしれんし、その代わりいろんな映画館をハシゴする趣味が出来るかもしれん。ド田舎に住む生活ではあんまりウィンドーショッピングみたいな過ごしかたはそもそも選択肢に無さそうやけど、近所に気にせず大爆音でギターを弾けたりするのなら、それはそれで楽しめる。そんなふうに考えたら、「街も人を作り得る」なのかも。それってもっと表面的なことで考えても、正直みんな心当たりはあるんちゃうかな。例えばさ、西成に住んでるって聞くのと芦屋に住んでるって聞くのでは、その人に対する身構えが違ってたりせん?どっちがどう、とは言わんけど。
住むことに関するそういった考えを拡大してったら、「国」についても同じようなことが言えるんやろうと思うのよ。「国が人を作る」なんて可能性がちょっとでもあるんなら、ダサい国に住んどったら国民もダサくなるかもしれんし、ダサい奴が住んどる国はそのうちもっとダサい国になるかもしれん。選挙があるとニュースや新聞なんかは「国のゆくえを占う…」なんて大層な言いかたをするけど、本質的にはファッションといっしょやねん。自分の好みにピッタシカンカンのカッコいい服が売っとらんくても、たとえしまむらの超狭い紳士服売り場くらいの品揃えやったとしても、その中で出来るだけ自分が着こなせるマシな服を選びたいもんや。何ならダサい服しか売っとらんからって、自分がカッコいいと思えるアパレルブランドを自力で立ち上げる人が出てきても、ええやんええやん。ハムレット的に言うと、ダサいかダサくないか、それが問題なんだよ。
いや、というか、今日はそんな話がしたいわけじゃないんだよ。今おれはこの文章を、年の瀬に越してきた新居の物置き兼作業部屋で書いとる。そう、どうにかこうにかバタバタした年末年始の転居作業をくぐり抜けて、新しい家で落ち着いた平穏な時間を過ごせるようになったのだ。ほんまはひと月前くらいに作業自体はおおかた済んどったんやけど、ここんとこひと段落ついた反動で案の定、だらだら暮らせるありがたさをひたすらに享受しとった。ほんでやっと、暇やしぼちぼち書きものでもするか、なんて重い腰を上げたわけ。まぁ、こうやって課外活動に自然と無理なく向き合える気分になる段階になるまでをも含めて、「引っ越し作業が終わった」って状態なんかな、広義的にはさ。
てなわけで、去年まで住んどった旧居での暮らしのことを書き残しとこうと思った。北摂の住宅街の坂の上にある、築年数は50年ほども数えるような、古めの一軒家での生活の話。思い返せば、あの家には丸々6年住んだことになる。さっきの、「家が人を作る」って話で言うなら、おれのこの6年間は、あの一軒家の型に合うような生活の中で送られていたような気がする。完全にすべての荷物を新居に移し終えて、おれの痕跡の一切が無くなって空っぽになった家の中を眺めたとき、ちょっとおセンチになって感慨深くなった。あの家へのお礼もこめて、振り返ってみよう。
2019年10月、それまで実家暮らしを続けとったおれはあの家に引っ越した。ちょうどそれは、3年半くらい勤めた仕事がしんどくなってほとほと嫌んなって辞めて、まったく畑の違う会社に転がりこんだタイミングの話。 たぶん当時おれは、精神的なこともあったけど、物理的な面でも「自分のナワバリ」みたいなものを確保したかったんやろうと思う。どんな状況にあっても10代の頃に好きになった音楽のことはずっと大好きでいたけど、その年の前半の疲れてた時期に自分の所持品を減らそうなんて考えて、ふと気ぃ抜いたらおれ、自分が人生で初めて買ったエレキギターをメルカリで売っとって。それが後あとになって自分で結構びっくりしたんよな。「あれ売っちゃたんや、おれ」って。どんだけ下手くそな腕でもそんなん関係なく、ただ抱えるだけでロックンロールスターの気分になれたエピフォン・カジノだったじゃないか。そんなことを経てから、いよいよ自分の身の回りのいろんな面での環境を変えようと考えてたときに、何と言うか、今後憂鬱なことがあったとしても、「ここにおったらとりあえずもう大丈夫、楽しいもんばっかりやから」みたいな、ひとりで気ままに好きなものにふれられるような生活の土台は絶対にほしい、っていう意志が強くあった。当面見習い小僧みたいな扱いになって今までより稼ぐ金は減るとしても、それでもまかなえる範囲内で、できるだけ自分の趣味のもんを置いとける住み処があれば、生活をやってける気がした。
そんな都合の良い家あるか?と思うけどさ、当時たまたまあったんよ。異常に家賃の安い、いい感じでくたびれた2階建ての一軒家。むしろ時系列的にはこいつみたいな物件を見かけたからこそ、さっき書いたような夢を持てたとも言える。ひとりで住むにはもちろん収納も困らなさそうで、車も2台分置けちゃったりしてさ。似たような条件の賃貸なんてそうそう出えへんし、迷う選択肢もほとんどなく引っ越した。荷物はレンタカー屋でハイエースを借りて、引っ越しバイトの経験の豊富な高校時代の友だちに手伝ってもらった。彼の荷物積載センスが抜群に良くって、一往復で済んだ。しかも確か、昼飯おごるくらいの謝礼で請け負ってくれた。持つべきものは友だちやで。
そう、月並みな言い回しやけど、持つべきものは友だちなんよな。あの家に引っ越す前の気がふさいでぷらぷらしとった時期、おれはいろんな時代に作った友だちと会って話をした覚えがある。境遇は違えど同世代、それぞれがそれぞれに岐路に立っとったり苦労しとったりして、酒を飲みながらお互いを肯定しながらただただしゃべった時間は、すごく良かった。「忙殺」なんてぶっそうな言葉があるけどあれはほんまに良く言ったもんで、忙しいからって仲の良い友だちにもたまには会わなかったら、自分が今どんな状態におるんか気づきにくくなると思う。海水浴でもさ、ひとりで気ままに泳ぐにしろ、たまには陸のほうにいる人と声をかけ合い手を振り合いしとかんと、自分が元いた砂浜に戻ってこれないくらい沖合いに流されとっても、もう手遅れかもしれんじゃん。その当時、そうして深夜まで友達とサシで飲んだ帰り道に、歩いててふとそんなイメージが頭に浮かんで立ち止まったことがある。
あの家のリビングは床の真ん中に穴が開いとって、備え付けの掘りごたつがあったんよ。ボロいナショナルの電熱器まで置いてあってんけど、それはなんとなく挙動が怪しかったので自分で別にサイズの合う掘りごたつヒーターを買って、真冬は家の中までよく冷える環境で重宝した。夏は夏で、掘り座敷的に過ごせたし。
そんなこたつテーブルのあるリビングで、この6年間は本当にいろんな友だちに遊びに来てもらって楽しく過ごした。音楽を聴きながら、楽器を弾きながら、映画を観ながら、酒を飲みながら、好きなものの話をたくさんした。持つべきものは楽しく飲める友だちやね、お互い沖合いに流されることはないように。そんな意味でも、あの戸建ては最高の生活の形をしていた。飲んだ翌日は近くにある温泉に行くのも気持ちが良かった。お盆とか年末とか、毎年のようにええ時間がいっぱいあった。
ご時世で言うと、あの家に引っ越して半年もしたくらいにコロナが大流行した。仕事が変わったとたんに家で過ごすことが多くなって、ますます稼ぎが減ったのは切なかったが、いろんな勉強が出来たって点では追い風になったかもしれん。余った時間にはチャリでフード配達もした。チャリで行く坂道の上り下りはえげつなかったが、20代の終わりに新しい経験を味わえたのも楽しかったかな。どうせこれから一生、「あの頃はどうしてた?」って誰が相手でも共通の話題として振り返ることになるのが、あのコロナ禍の時代。おれにはそういうときに分かち合える思い出がたくさんある。
引っ越した頃に就いた仕事は、結局4年ほど勤めた。変なシフトのおかげで余暇にはめぐまれていながらも金銭的には厳しめの待遇に、いろいろと次のステップになる他の稼業の道も手探りしとったのも、あの家で過ごした期間の思い出。中でも「ある程度落ち着いて金が稼げるなら種類は問わんけど、興味を持って働けるのはココだけかもな…」と思えるある仕事に就くためのラストチャンスにチャレンジして、最終面接で落ちちゃったのは、もう4年前くらいの出来事。まぁしかしお仕事系のあれやこれやは、とどのつまりそこまで自分の暮らしを左右するほどのことでもなかったよ。「どうあろうとここにおればもう大丈夫」って場所に住んどること自体が重要やったし。そんなこんなあって結局また別の道の仕事を見つけてからもあの家で2年ほど暮らし、それは新居に引っ越した今も続いとる。ちなみにその仕事に就くときには、コロナ禍の頃自宅学習して取った資格を持っとることを、ちょっとだけ優遇してくれた。案外手探りなキャリアの牛歩が繋がっていたりする。
趣味の面ではそりゃもう、あの家のおかげでよく捗ったよ。年に一度は楽器を作る、年に4曲は音源を録るってことをルーティーンにし始めたのは、引っ越してくる直前くらいやった。モノを作ったり楽器をそのへんに広げたりするスペースも確保できとったからこそ、そんな楽しみも無理なく続けられたんかなぁと思う。それにモノでも曲でも文章でも何であれ、目に映ったり耳にしたりできる形でその年その年の思い出を残すことにもなったから、あの家での暮らしはそういう方向でも今後のおれの人生のそばで生きていくことになる。安心やね。
ほんで、日々ちょっとずつの歩幅で作ったギターやCDを、年の瀬に家に遊びに来た友だちに見せびらかすのも楽しみやった。田舎のじいちゃんが帰省してきた家族に畑でとれた野菜をふるまうような感じかも。今年は夏に雨が多かったからこんなんがよく穫れた~、みたいにさ。大げさに言うとそれは、ふだんの自分なりの生活を確かめてもらうような機会なんよな。やから、難しいことを苦労してとか、スランプの中で絞り出してとか、そんな生活を突き破るような産みの苦しみめいた趣味への向き合いかたは、そこには一切なかった。じいちゃんの野菜にガチガチの農薬や遺伝子組み換えがあっても、引くやん。
とにかくさ、どんな側面から振り返っても、あの家で過ごした6年間は、おれにとってはものすごく面白い時代やったんよ。ただただ気ままにのんびりぼちぼちと暮らしとっただけなんやけど、それが出来たこと自体、本当はすごいことなんやと思う。思春期や青春時代が、自分の中の葛藤やコンプレックスや悩みと向き合いながら若い活力で走り回って、徐々に大人として持続可能な定速をつかんで行く過程の期間なんやとしたら、この6年間はそれに比べればもう屁ぇみたいなスピードで、ただ亀のように這って歩いただけやねん。でも、そんなのろのろ歩きのおかげで、自分の来た道も行く道も、世間様のようすも悠々と観察しながら暮らせた気がする。そう例えると何だか隠居した老人みたいな感じやし、現にそんな雰囲気出しとるよって友だちに言われたこともあったけどさ、そんな目線を6年前にくたびれきってから今までの時期に持てたことは、おれの中ではめっちゃ良かったと思うよ。ブレーキをかけることなく、実は無理なカロリー消費も入ってた自分の定速を持続可能やと思いこんだまま走り続けるよりも、ずっと良かった。浦島さんは若い状態から一気に玉手箱を開けてガチのじいさんになったけど、おれは自分のペースでちょっとずつその煙を吸い吸いしながらソフトにじいさんになったんや。やからハード面の身体のほうは今んとこまだヤングや、大丈夫や。
そうして今、より現状の環境に合う物件を見つけたことで、新しい家に引っ越してきた。基本的な生活のスタンスは、あの家で身に着けたものからそう遠くには離れずに過ごせればええかなぁと思っとる。あの頃に無かった楽しみもあれば、やらなあかんこともあるから、あの家そっくりそのままとはいかんし、まんま同じにする気もないけどな。この家で形作られる暮らしも、また前とは別の面白いもんになるって予感がしとる。友だちもそのうち遊びに来るやろう。いつでも砂浜に戻れるくらいの浅瀬でのんびり泳ぐ亀のようすを、たまには見てもらわんとね。
というわけで、かつて存在したと言われる「サンテ・ド・はなやしき」ってレジャー施設の近所の家からは離れたけど、趣味の面でのポリシーはそないに大きくは変わらんので、ここのホームページの屋号も変えたりせんとく。
6年住んだけど、結局その全容の手がかりもつかめんかったなぁ、元祖サンテ・ド・はなやしき。



コメント