top of page

ジョージア、アラバマ、テネシー漫遊記⑨ 「9月19日(火)」

  • 執筆者の写真: bunkeiedison
    bunkeiedison
  • 2024年7月31日
  • 読了時間: 17分

ree





 今回の宿もメンフィス同様、快適に夜を過ごせた。元から寝つきの良さで困ったことが無い体質ってのもあるけどね。

 食堂的なスペースで朝食をとる。これまた同じく、スクランブルエッグにソーセージにパンにオレンジジュース。美味いなあ。


 前日に決めた通り、今日はカントリー中心に見学し尽くすつもり。朝からホテルの部屋を出て歩いて向かったのは、ナッシュビル旅でのメインディッシュでもある、「カントリー・ミュージックの殿堂博物館」。

 その道中、街を歩いてるだけでも目に映るわ映るわ、音楽に関わる建物がいっぱい。経路上にあったシンフォニーホールの看板には、来週エスペランサ・スポルディングが公演するってポスターが貼ってある。ここは大阪で言うところのフェスティバルホールみたいなハコなのかな。


 そうやってきょろきょろと音楽の都を見物しながら博物館に到着。建物からしてデカい。おれがこのアメリカ旅で訪ねたミュージアム系の施設では一番広そう。おれのプランはいきなり館内の展示に突入するわけじゃなく、まずはここから送迎バスに乗って行くRCAスタジオBの見学ツアーに参加することから始まる。事前予約した時間に博物館入口近くに集合してみると、同じ枠での参加者はだいたい20人くらいのグループになった。ガイドスタッフのおしゃれなお兄さんの誘導で、スタジオにゆかりのあるスターの写真がラッピングされた小型バスに乗り込む。歴史的なあこがれのスタジオへレッツゴー。


 さて、「RCAスタジオB」とは何がそんなに特別な場所なんかと言うと、このスタジオは簡単に表すならば、ナッシュビルという街がいろんな録音スタジオがひしめく音楽生産工場になった、そのパイオニア的な建物なのだ。

 RCAっていうのはカントリーのレコードを探してたら遅かれ早かれ100%の確率で出会うレーベルの名前やね。当時はRCAビクターって正式名称で、あの犬のシンボルが印象的なトレードマークやった。

 このRCAは当時エレキギターのものすごい名手を抱えてて、その名もチェット・アトキンスっていう人。ちなみに彼の名前はおれみたいに音楽を聴き始めてわりとすぐにビートルズにドハマりしたタイプの人間なら、ジョージがその奏法にめちゃくちゃに影響を受けたって解説文を雑誌でも国内盤の歌詞カードでも嫌というほど読むことになるので、音楽探しの旅の超序盤で出会うことになる化け物ミュージシャンなんよ。おれも中学生のうちに中古のベスト盤を買って「ジョージよりアホほど上手いやんけ!」ってドン引いた思い出があるよ。

 そんで、彼はRCAの中でセッションミュージシャンでもありながらプロデューサー的な役割も持っとったんで、1950年代半ば、ナッシュビルにいつでもレーベルの音源を製作できる録音スタジオをイチから作ろうよ、っていうプロジェクトに参加する。そうしてチェットらRCAの仲間たちが建てたのがこのRCAスタジオやったんよ。

 それからというもの、ハンク・スノウにドリー・パートン、ロイ・オービソンにエヴァリー・ブラザーズ、そしてメンフィスのサン・レコードを卒業してRCAと契約を結んだ我らがエルヴィスと、カントリーの分野に限らずこのスタジオで名盤を残したミュージシャンは数が知れない。この成功をきっかけに他のレーベルも後を追うように腕利きのミュージシャンが揃うナッシュビルに録音スタジオをどんどん作るようになったし、現代にかけてもレコード会社から独立したスタジオやインディーなレーベルが、この音楽の中心地にあこがれてわんさか湧いてってるってわけ。このスタジオの名前のお尻に「B」が付いたのも、ノリにノッたRCAが60年代により大規模な新スタジオをもう1軒作ったからやもんね。

 長くなったけどとにかくあらましはそういうことで、卵が先かニワトリが先か、レーベルが先かスタジオが先かこのナッシュビルの土壌が先か、そこに議論の余地はあるにしろ、このスタジオBはナッシュビルの音楽、ひいてはアメリカの音楽にとって、とんでもないランドマークであることは間違い無いんよ。


 そんな貴重なスタジオへ向かうバスの窓からの景色を見てて気づいたけどこれ、おれの泊まっとるホテルのすぐ近くやん!ここらへん一帯がミュージック・ロウっていう名の、音楽スタジオばっかりの地区らしい。期せずしてそこから目と鼻の先にある場所に寝泊まりしてたわけか。まあ、RCAの見学は博物館を介してじゃないと受付けとらんからアプローチとしてはおれのプランで正解なんやけども。滞在中、また時間があったらホテルから出直してこの辺を散策してみよう。


 そうして着いたRCAスタジオBは、想像していた通りの小さめの建物。そんな規模でありながら、中に入ってすぐの部屋にはこのスタジオで録られた名盤たち、このスタジオを訪ねてきたスターたちが年表順にずらりと並べられまくっているから信じられんよな。オリジナルのまんま置かれた録音機材を目に、ガイドのお兄さんの解説を耳にしながら進んでいくと、とうとう録音スタジオそのものに足を踏み入れることになった。サンでもフェイムでもスタックスでもそうやったけど、別に現代の練習スタジオほどのガッツリした防音処置がされとるわけじゃないのに、部屋に入った瞬間に「しん」って環境音が消え去る感覚がするのはなんでなんやろう。おれの耳が、と言うよりおれの心そのものが本物を前にしてセンサーを失うんかな。とにかくこの一瞬は、本当にたまらない気持ちになる。

 エルヴィスが気に入って使ってたピアノも置かれたスタジオではガイドさんが実際の当時のエピソードを交えながら、この場所で録られた音源を流してくれる。フェイムやサンに続いてこのフォーマットは3回目やけどこの体験、やっぱ良いぜ。エルヴィスが甘い声で歌う「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト」は真夜中にこのスタジオで吹き込まれたという。エルヴィスの提案でスタジオの照明を真っ暗にして録音したらしく、ムード良く歌ったまでは良いものの曲の終わりでエルヴィスはとうとう寝落ちしてしまった。なんと発売された音源にも眠ったエルヴィスがマイクにおでこをぶつけたノイズが入っとるってことで、実際に部屋を暗くしてみんなでその音源を注意深く聴く。…ほんまや!こういう追体験のいちいちがおれに効いたよ。


 見学が終わってバスで博物館へ戻り、いよいよ本館展示の方へ。スタジオ見学ツアーと合わせて事前にチケットを取っといたが正解やったな、やっぱりバカでかいミュージアムだけあって現地の売り場は多少並んどった。ウキウキで展示のスタート地点のフロアへ続くエレベーターへ直行。しかしそのせいでオプションで付けとった音声ガイドの受取りを忘れる。相変わらずおめでたい奴や。まぁいっか、ほとんどそんなもん使っとる人おらんかったしな。

 展示はでっかいフロアまるまる2階ぶんにギッシリ詰まっとる。見終わった今となっては分かるが、カントリー・ミュージックの起源から現在の音楽業界が立ってる地点までの途方もない旅路を辿るには、本当にこれくらいの規模が要る。


 正直おれはカントリーについて、聴くのはすごく好きやけどブルースやロックンロールやソウルほどには詳しくない。テンガロンハットの似合うにこやかな白人のおじさんがバンジョーやフィドルをふんだんに使って歌う音楽、ていうにわかでステレオタイプな印象から、おれのカントリーへの目線はそこまで離れた距離にいない気がする。やからこそさ、おれはこの博物館では自分の知っとるあこがれのスターたちにまつわる本物の展示に感動するっていう側面と、自分が知らんかったカントリー・ミュージックの成り立ちや背景にふれて感心するっていう側面、そのダブルパンチを味わえた気がするよ。黒人音楽やとどっちかというと前者による感動が大きかったからね。

 元来は白人と黒人の音楽が混じり合って生まれたフィドルとバンジョーからなる音楽を根っこに持つカントリーから、なぜ黒人が離れていったのか?ラジオやレコード、そしてテレビの登場がカントリーをどう変えたのか?このナッシュビルで昔から今までずっと収録されてきた「グランド・オール・オープリー」というラジオ番組は、なぜそこまでアメリカ音楽にとって特別な存在になのか?そもそもなぜカントリーのミュージシャンと言えばカウボーイルック、みたいになったのか?イーグルスみたいなカントリー・ロックはなぜアメリカの西海岸で完成されたのか?…

 そういう疑問というか、今まで何となく単なるそういう事象として知っとるつもりになっていたものが、溢れんばかりの実物の展示とともに紐解かれていく。まさに啓蒙、って感じの体験やったな。もちろんおれよりしっかりした音楽好きなら、日本にいながらにしてそういうことへの答えをつかんどるんやろうけど、おれの場合はそれをカントリー・ミュージックの総本山みたいなこの場所で知れた。それってすごい贅沢な気がしたよ。

 おれはここ最近よく、自分がええ歳になってなおまだ知らないことがあるなら、それを知る瞬間の環境は大事にしていきたいなぁと考えることがある。例えば何かを新しく知るときのきっかけが自分と気が合わない嫌な奴の趣味とかやったらマイナスのイメージからの出会いになってしまうかもしれんし、逆にたまたま別の目的で訪ねた街が何か自分にとって未知な文化の本場やったりしたら偶然に出会えた嬉しさやホンモノの迫力でたちまち魅了されるかもしれない。そういう観点で言えば、カントリーに対して何となくの感覚で聴き親しみ楽しんできたおれがその文化のコアというか、まさに核心に迫るような体験が出来たのがこのナッシュビルていう土地やったことは、本当に恵まれとったと思うし、誇らしくすら感じるよ。


 博物館と聞けばどうしてもこれまでの音楽の歴史の振り返りにスポットライトが当たっとる印象があるけど、このミュージアムではちゃんと、その歴史の延長線上の最先端におる現代で活躍するミュージシャンのことについても結構でかいスペースを割いて取り扱っとった。最近の音楽に疎いおれはこっちの方向でも啓蒙を受けた感じがしたよ。おれはもともとが大昔の音楽に惹き込まれたクチやからさ、ふだんはあんまり今の新譜に自ら進んで耳を傾けたりしないんよ。やけどこの場所では、そういう「今どき」と「古き良き」みたいなものの間にそもそも垣根なんか無いってことを思い知らされる。このミュージアムではすべて平等に展示されとるもんね。

 今アメリカでは誰もが知ってるくらいの絶大な人気のあるアーティストでもおれは知らんって人、いっぱいいるなぁって感じたよ。もうだいぶ前の出来事に感じるが、アラバマのマッスル・ショールズで訪ねたフェイム・スタジオのスタッフさんがエリック・チャーチのTシャツを着とったんやけどさ、そのエリック・チャーチも単独ででっかい展示コーナーを持っててびっくりした。そっか、ふつうに大スターなんやなぁって。


 かたやもちろん、おれが大好きなミュージシャンのホンモノの展示も莫大な数あったよ。マジで挙げきれんくらい。けど中でも特筆しておきたいのは伝説的なギターの多さやなぁ。群を抜いてヤバかったよ。ジミー・ロジャースやハンク・ウィリアムス、そんですべてのかっちょいい指弾きギターの母とも言えるメイベル・カーターの愛用した実物ギターが、当然のように並んで展示されとったり。

 そんで、エレキギター作りが趣味のおれからしたら、マール・トラヴィスのビグスビー・ギターやレス・ポールの「ログ」て呼ばれる試作ギターの実物が揃って置いてあるっていうのはものすごい衝撃やったよ。大事件やで、目に入ったとき声出ちゃった。

 トラヴィス=ビグスビー・ギターとログ・ギターっていうのは、言ってみれば今となっては世の中にごまんとある、ボディに空洞がない全てのエレキギターの始祖みたいなもんなんよ。つまり、アコースティックギターにマイクを付けたようなアコギの延長線上にあるような従来のエレキギターの流れから完全に独立したソリッドギターの台頭に一役も二役も買ったのが、おれの目の前に不意に出てきたこの2本のエレキギターなのだ。トラヴィス=ビグスビーの方のギターは、ペグが片側6連のヘッド形状にも現れとるように、フェンダー系のエレキギターの前兆になったもの。一方レス・ポールが作ったログってギターはボディが左・真ん中・右と縦に分かれたものを組み立てるような仕組みになっとって、これを実験台に試行錯誤を繰り返した結果、レスポールモデルのあのギターが完成した。

 素人レベルのショボい工作ではあるものの、おれのエレキギター作りは世間で売られとるモデルを模倣したものじゃなく、今まであんまり他人が作ってなさそうなものを試しに作ってみるような傾向が強い。やからこそ、こういうプロトタイプ的な立ち位置のギターには親近感とあこがれの両方があるんよ。ほんまに見れて嬉しかった。


 結局、RCAスタジオBの見学ツアーも含めたらゆうに5時間くらいこの博物館で過ごしちゃったよ。感動の連続ですっかり没入してしもた。かえすがえす言うけど、ほんまにキリが無いから挙げとらんだけで、目に入るもの全部が全部すごかったんやで。宝物酔いしちゃうくらい。

 お土産もいろいろと買うたなぁ。ジャンクになったレコード盤を加工して作られたジャケットホルダーは自分の家の居間用に。グランド・オール・オープリーが収録されとったライマン公会堂のコンサートポスターのちっちゃいレプリカは人にあげる用に。ちなみにこういうポスターに代々使われた版画は「ハッチ・ショー・プリント」と呼ばれる技法で、ミュージアム内にポスター製作体験コーナーもあった。おれはやらんかったけどさ、そういうアプローチからもカントリーの文化にふれられる選択肢が用意されとんのはすごいよなぁ。多角的でなおかつ、一個一個が深い。

 大満足で建物を後にする。いろいろとデカい施設やったな。


 遅めの昼食には昨晩併設する売店で栓抜きを買った、ジミー・バフェットの経営するレストランへ行くことにした。経営するって書いたけど、本人はついこないだ死んじゃったよなぁ。ヒット曲にあやかった「マルガリータヴィル」って名前のお店。

 ケイジャン風味のエビを頼んだ。抑え気味のメニューを選んだので目論見通りボリュームもどうにか大丈夫やった。おれはニューオーリンズに行ってからというものケイジャンと名のつく料理は例外なく全て美味いと思っとるんやけど、今回もその説は補強されたな。そう言えばドライブ中にどっかで寄ったウォルマートで「スラップ・ヤ・ママ」っていうケイジャンスパイスを自分用のお土産に買った。それくらいケイジャン料理は好きなのだ。

 店内では長髪とヒゲのお兄さんが弾き語りライブをやっとった。ジミー・バフェットの曲やらイーグルスやら、食事やおしゃべりに夢中で正直あんまり関心を集めきれてない客の中で脱力気味に演奏しておる。そっか、忘れとったけどおれも帰国したら近所の飯屋や居酒屋で同じように弾き語りのライブするんやったわ。そう思うと親近感が湧く。客の目を引くためにおれも何かできへんもんかなぁ、とか。


 食べ終わって、かつてグランド・オール・オープリーの収録もされとったライマン公会堂(来月はブライアン・セッツァーが来るっぽい。羨ましい)の外観だけを見てから、本日の博物館もう1軒、「ジョニー・キャッシュ・ミュージアム」へ。ちなみにライマン公会堂はジョニー・キャッシュが冠で出とったテレビ番組が収録されてた場所でもあるから、本当にナッシュビルの音楽シーンからは切り離せない会場なんだよ。

 音楽の文化と歴史まるごとを取り上げるカントリーの殿堂博物館とは一転、ジョニー・キャッシュというひとりの男に焦点を絞った博物館ということで、さっきと対照的に小回りの利く良い規模感をしてる。個人のための展示って点では同じ立ち位置のはずのエルヴィスのグレイスランドは規格外のバカ広さやったけど、やっぱりこの人の生き様は残した名盤や成し遂げた偉業の展示というより、ジョニー・キャッシュが生きてきた人生そのもので語られる気がするから、この規模で十分、て言うよりこの規模こそが最高やったな。

 2人ともサン・レコードの出身の同世代ではあるものの、短命で自分がうねりを起こした世界に生きたエルヴィスとはちょうど鏡みたいに、ジョニー・キャッシュは71年間の長い生涯のそれぞれの時代で、変遷しまくる国や社会や音楽に揉まれながら生きたような気がする。ジョー・ストラマー風に言うなら、ジョニー・キャッシュはアティテュードなんよな、音楽である以前に。たぶんアメリカ人にとっては愛国心ともリンクして強烈なシンパっぽくなるパターンもあるんちゃうかな。おれは思想というよりは、生き抜いたかっこよさが純粋に好きなんやけどね。

 展示は出生から最晩年まで、ゆかりの品や衣装や楽器がずらりと並ぶ。設備的には凝った機器とかは置いとらんのやけど、年代ごとに彼が残した音源を聴けるのが良かったよな。なんせロカビリーからナイン・インチ・ネイルズまで歌った人やからね。あと個人の博物館らしさが際立った展示として印象的やったのは、序盤の展示にキャッシュが幼少期に遊んだビー玉が、終盤に彼が晩年のシングルジャケットで身に着けた指輪が飾られとったこと。生まれてから死ぬまで、人生の初めから終わりまで、ひとりの人間の手が実際に触れてたものを目にするってのは、やっぱりこのミュージアムの密度を感じれたよ。

 お土産にはTシャツや、隣接するキャッシュの名を冠したレストランのでっかいプレートを。Tシャツはやっぱ黒を基調にしたイカすの多かったなぁ。そこにもこの人のカリスマ性というか、アイコンとしての適性みたいなんが出とった気がする。


 ジョニー・キャッシュの博物館を出たらもう17時半。早足で1kmくらい離れたところにあるギブソン・ガレージへ向かう。18時閉店なんだよなぁ。

 ギブソン・ガレージとは文字通りギブソンの旗艦店。フェンダーは東京にフラッグシップショップを構えたが、ギブソンのは世界中で(今んとこ)ナッシュビルにしか無い。もともとギブソンはメンフィスにギター工場を持っとって、そこではファクトリーツアーもやってたから絶対に行きたかったんやけど、調べてみると残念ながら5年前くらいに閉鎖しちゃっとったんよなぁ。やから、その代わりと言っては何やけどナッシュビルではこのストアに絶対行っときたかった。

 入ってみたら事前に予習しとったとおり、店内を回転寿司みたいにギブソンのギターがくるくる回ってる。さすがにくまなく見て回るほどの時間は無かったけど、たぶん現行モデルはエレキもアコギも全部揃っとるんやろうな。ちょっとしたライブスペースもあって、閉店間際なこともあってスタッフがアンプやモニターPAを設置しとる。明日誰か来るんやろか。(←今になって撮った写真見返したら、ライブスペースにアイアン・メイデンのジャケットとかが飾られとるなぁ。当時は大量のギターに無我夢中でそこまで気づかんかった。)

 時間が心配やったけど、お店にはヨーロッパから来てるっぽい旅行客の人らもおれと同様冷やかしに来とったからか、退店を急かされることはなかったな。彼らも置いてあるギターに目を輝かせとったし、音楽が好きでギターが好きなんやろうね。そう思うとちょっと嬉しい。

 こんなとこに来てしまうと勢いでギター買っちゃいたくならんかしら?なんて昨日ぐらいは思っとったんやけど、ひとつひとつの楽器に見惚れるだけで、意外とそこまで購買欲は湧かんかった。なんせ今日はここに入るまでにバケモンみたいなギターの実物を見まくったからね、新品の現代のギターなんて生まれたての赤ちゃんみたいなもんよ。結局お土産にギブソンやエピフォンのロゴのワッペンなどを購入して、ちょっと閉店時間をオーバーしたところで退散。


 これで今日見るつもりやった各所は全て、それぞれの営業時間中になんとか訪ねることが出来た。疲れ果てた足でホテルへ直行、18時過ぎ。宿にこもるには早すぎるけど、脳内では「あぁこれ、たぶんシャワー浴びたらもう今夜は外に出れんなぁ」って予感がしとる。それでいいじゃないか、最高やったよ今日も。


 風呂上がるとずっと湯あたりみたいな感覚、けどこれはシャワーのせいじゃない。今日目にしたものがすごすぎて、一日の分量を超える感動に心も体もついてきてないんや。カントリーの殿堂博物館、改めてすごかったな。他の施設も含めて考えたら、今日この日はおれの人生で一番、最多、最長でギターを見つめた日になったかもしれんな。よく考えたら、おれはこの人生でもう一回ナッシュビルに、今日訪れた場所に来ることなんて無いんやろか。もし何十年後も先にまた殿堂博物館に来れたら、その頃にはまた新しくこの音楽の歴史の先っちょが展示されとるんやろか。


 旅行記のメモを書きながら、ぐるぐるとそんなことを考えとった。そして気絶するように寝てしまった。






コメント


記事: Blog2_Post

©2022 by サンテ・ド・はなやしき
Wix.com で作成されました。

bottom of page