ジョージア、アラバマ、テネシー漫遊記⑬ 「エピローグ」
- bunkeiedison
- 2024年9月11日
- 読了時間: 5分

ジョージアを拠点としてアラバマやテネシー、そしてほんのちょっとミシシッピを旅したあの約2週間の漫遊の日々から、まる1年が経った。
となると、おれはその旅行記を書き終わるのに、なんとまる1年もかかったことになる。
まる1年も経てば、いろいろあった。旅行当時から話題になっとった円安は今もなお声高に叫ばれとるし、あの頃新しい仕事に就く直前やったおれは何とか毎日に慣れてきたし、あの旅でカギがぶっ壊れたスーツケースは修理に出して直ったし、旅からの帰国後に家に泊めてくれた大学の後輩は、おれがそのとき初めてごあいさつした彼女ともうすぐ結婚式を挙げる。他にもいろいろ。
当時とはちょっとずつ景色の変わった生活の中で、あの日々のことを思い返しながら細かな旅行記を書くことは、まるで今いる日常とかつて踏みしめたあこがれの土地との間を反復横跳びするようで楽しかった。それと同時にこの作業は、新しい生活の中で自分のペースとはお構いなく吹いてくる風に吹き飛ばされんよう、自分の定位置を確保する安全帯みたいなものでもあった。
状況の差だけを挙げてしまえばあの日々と今日この頃の間にはハッキリした境界線があるようにも思えるけど、よくよく考えてもっと些細なレベルで思い起こすと今の生活には、あの旅行で見聞きしたことが無意識に、ごく自然と根づいとるように感じることもある。
例えば、毎年足を運ぶレコード市で収穫を探すとき、カントリーとかナッシュビルで録音されたものを見つけたら、スタジオやレーベルの住所を調べて「あっ、あそこらへんで録音されたんか!」って思うようになったのもその1つ。あとは旅行者として外国で感じたことから来る影響の面では、新しい職場で見かける海外からの観光客が困っとったら「あの人ら大丈夫やろか…?」と気になってしまうことがあるのも。まぁ実際は、仕事の範疇外のところで新米のおれがしゃしゃり出るような機会も、しゃしゃり出る度胸も無いんやけど。
そういう感じの自然な旅の思い出の溶け込みってのは多分、おれがこうやって旅行のことを牛の反芻みたいに帰国から長い時間をかけて振り返ったからこそ、日常の暮らしにまで染みてきたんやと思うんよ。旅行終わってすぐ、良く撮れた写真だけ適当にピックアップして「いやぁメンフィスもナッシュビルもヤバかった、さて来月から新生活や!」みたいな程度のインスタントな感動共有で済ませとったら、おれの生活はもっと、プラレールの線路の切り替えみたいなあっさりな感じで、あの旅はあの旅、この日々はこの日々で進んでってた気がする。それはそれでええかもしらんけど、おれの場合はこの反復横跳びや反芻のような営みが性格的にも好きやった。
そう、反芻。旅行記を書きながらの日々を過ごす中で、おれは叶うならあの旅の思い出っていう消化しがいのある牧草を、もはやずっと永遠に食っては吐いてを繰り返してクチャクチャしてたいとすら思うようなったけど、文章の世界でもついに帰国してきちゃったわけか。けど、もうこの漫遊記が後半になってきた頃にはすでに、おれは旅行自体を直接思い出すっていう振り返りかたと二重になる形で、自分で書いた旅行記前半の文章を読み返すことでもこの旅で見聞きしたあれこれに思いを馳せてたんよ。オリジナルを反芻しながら、オリジナルから生まれたものをも口にし始めてた、みたいな。全然上手く表現できんけど、そういうフェーズに入ってしまえばもう、旅行からどんだけ経とうが旅行記が書き終わろうが、旅行にまつわる何かしらはこれからずっとおれの頭の中で、まるで味の無くならんガムみたいに、味わっていける気がする。やから別に寂しくはない。
さて、もうずっと前の話になるけど、この旅行記に取りかかるプロローグでおれは、自分にとって音楽を聴くという趣味は、クジの尽きない、外れクジの無い抽選機に永久に腕を突っ込んで引き続けるようなもんや、みたいなことを書いた。
その例え話を援用するならば、音楽に浸かり込んで漫遊を尽くしたあの旅は、おれにとってはまるでそのでっかいでっかい抽選機に頭を突っ込んで、ボウルの中で飛び交う音楽の可能性を覗くような体験やったよ。両手には自分が今まで引いてきた当たりクジを握りしめたままで。カントリーでもソウルでもブルースでもロックンロールでも、キッズの頃から好きであこがれやった音楽に対する単なる答え合わせの旅じゃあなかったんよ。そういう感動だけでも、すさまじく胸に来るものがあったけど。それ以上にこの旅は、おれの両手がこれまでの人生の半分の時間をかけてもまだまだ掴み足りないほどに、好きであこがれの音楽は本当に星の数ほどにあるっていうことを、分からせられる旅やった。
やからこそ、旅行からまる1年経っても、おれは相変わらずウキウキで抽選機に腕を突っ込み続けとる。楽しいんよ、この趣味はとにかく。ほとほと音楽が好きで良かった。旅行記の中でもなんべんも書いたと思うけど、中学生や高校生やった頃のおれに、将来のお前にはこんな旅が待っとるってことを教えてあげたいし、自慢したいよ。
ニューオーリンズへ行ったときも似たような記録を文章で残したけど、今回のは書くのに要した期間も出来上がった文章の量も写真の枚数も、今までで一番の規模になった。これほどの長い旅行もしばらくはそうそう無いから、それまでの繋ぎにたまに自分で読み返すには十分過ぎるお土産やろうね。
もしこの漫遊記をちょっとでも読んでくれた友達がおったんなら、別にこれに対しての感想は要らんから、代わりに自分がどこかへ旅したときに見聞きしたものや感じたことを、飲んだときにでもおすそ分けしてくれると嬉しい。
大げさに言えばそういうのも民間伝承で、そういうのを持ち寄って大切にし合うのが、フォークってもんの本質な気がするよ。
ちょうどそういうテーマにほんのちょっとだけリンクしてそうな展示が、万博公園の民族学博物館でもうじき始まる。
あれからまる1年経ったけど、おもしろいことは日常にもある。
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