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好きだった人の訃報は次々向こうから知らされるのに、いつか好きになる人が今日どこかで生まれたことを知る術がないのは不公平だ

  • 執筆者の写真: bunkeiedison
    bunkeiedison
  • 2022年12月28日
  • 読了時間: 9分

更新日:2023年3月19日


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人が死んだ後でいちばん不思議な気分になるのは、わたしが思うに、その人の靴を見る時だ。その時に最も悲しい思いをする。あたかも死んだ人の人格が、生前履いていた靴の中に残っているかのようだ。[……] とにもかくにも、死んだ人たちは生きている人が知らない何かを今や知っているというわけだ。たぶん。

──チャールズ・ブコウスキー「死をポケットに入れて」


 自分より前時代のものが好き、という性分は、見てくれほど気ままでやさしい道楽じゃないと思うよ。それを知れば知るほど、その文化の喪失に立ち会うことになるから。単に「渋い」だの「温かい」だの「手間がかかるほど愛らしい」だのでやっとるわけじゃないしな。たまたまおれの琴線に触れるものが、もう過ぎた時代に多いだけやねん。なんでか知らんけど。


 「じゃあ、初めから何のことも好きにならなければ、執着なんてしなければ、何かを失うような思いもしなくて済むのでは?」

 いやいや、そんな本来無一物を浅く解釈したような下手くそな仏教観じゃあ、とても打ち消せないような大好きレベルで愛してる対象の話を、今おれはしとんねん。思うに、断捨離だのタイパだので軽くできるような荷物なんてさ、最初から背負ってなかったような代物なんちゃうかね。ほんとに好きなもんって、もはや亀の甲羅みたいに背中からなかなか剥がれないもんやと思うよ。興味の湧かない世界で降りかかるストレスから自分を守ってくれたりするほどに。そういうのはさ、ポコチンの皮と同じで、無理に剥がしたらめちゃめちゃに痛っいよ。どうせやるなら見栄で剥いたりしないで、時間をかけて慎重に。


 あとそもそも、一度ドンと心動かされたもんっていうのは、もう二度と完全に失うことなんてあり得ないよ。

 それはたとえ、その当事者が死んだとしても。もちろん寂しいけど。



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アントニオ猪木 (1943~2022)


 おれはこう見えてプロレスが好きや。ほんとのストライクゾーンは2000年前後のWWFっていうアメリカの団体なんやけど。

 この「見かけによらず」「好き」みたいなのって、実は逆接的に繋ぐことでもないんじゃないか、と思うんよ。人間って、自分の中に既に持ってるものに共鳴するような何かを好きになることももちろんあるけど、それと同じくらい、自分が持ってないもので勝負してる人に憧れる場合もあるじゃないか。おれの場合は前者が音楽やったとすれば、後者にあたるのが落語家やプロレスラーやと思う。無粋で話し下手のひょろひょろ雑魚少年にとっての永遠の憧れが、古典落語やプロレスの世界にはあった。今もある。

 エンタメ性大爆発時代のアメリカンプロレスに魅了されて育ったおれは、この人のストイックなプロレス自体を観まくったわけではないけど、この人から出る言葉や態度がカッコよくて男らしくて好きやった。これはアメリカのプロレスラーでは満たされんかった部分で、彼が作った日本のプロレスの魅せ方のなせる業やったのかもしれん。「いつなんどき、誰の挑戦でも受ける」とか「出る前に負けること考えるバカいるかよ」とかさ、文面でもうシビれるよ。今でもたまに言うもん、大酒飲みに行く前とか、そんなしょーもないことであっても。

 でも、何よりいちばんこの人に惚れ込んだのは最晩年の闘病の期間やと思う。弱りきってく自分を全部カメラに映して生き尽くしたのがすごいんや。「元気があれば何でもできる」って自分が言いまくった言葉から逃げることなく。

 ドキュメンタリーでは「もう良いだろ」みたいに思いきり弱音吐いてるようすも捉えてたけど、そういうとこも全部見せて死んでったからこそ最強やと思ったよ。強い人ほど、それに憧れてるおれらの見えないところで死んでいくイメージがあったから。男の美学としてはそれもありかもしれん。けどほんとは、どんな技も痛みも受けきるのが、プロレスの美学や。

 猪木を好きな人ほど、「猪木はまだ死んでない」なんて軽々しく言わんと思うよ。あんだけ思いっきり死んじゃったんやから、その死は真正面から受けきらんとさ、そうじゃなきゃプロレスじゃないじゃんか。

 痛みは受けきってからまた闘っていくんや、人それぞれ、雑魚は雑魚なりのリングの上で。



ウィルコ・ジョンソン (1947~2022)

 この人は、おれにとって初めて「近いうちに死ぬと分かって観に行ったミュージシャン」や。

 2014年、末期の膵臓がんと公表してたウィルコが、さよならツアー的に日本にやって来た。友達と2人で梅田のクアトロに観に行ったのを今も覚えとる。

 ウィルコ・ジョンソン・バンドは長いこと3ピースで、特にベースのノーマン・ワットロイていう人は忌野清志郎のアルバムにも名前があったりする人。ウィルコといえばテレキャスをマシンガンみたいに構えながら観客を睨めつけてステージを常にジグザグジグザグ歩き回るパフォーマンスが印象的やったけど、実はノーマンのベースの弾き方も陽気なゴブリンみたいな感じでなかなか特徴的なんよな。

 忘れられんのがさ、この日のライブ、おれも友達ももみくちゃになるくらい客席もうねって熱気がムンムンで、ウィルコもノーマンもマンキンの力で演ってたんやけど、ノーマンが鼻からも顎からも滴るくらい汗かいてんのに、あの会場でいちばん照明に照らされて、いちばん激しく動き回ってるであろうウィルコだけ、始めから終わりまで一滴も、目に見える汗を垂らさんかったんよ。ギターも声もギラギラしてんのに、身体の代謝だけ置いてかれてるみたいな感じ。最後が確かチャック・ベリーの「バイ・バイ・ジョニー」でさ、それ聴きながら、病気で死ぬってこんな感じなんか、って思ってたよ。

 結局それからウィルコは腫瘍の摘出手術が済んだらありえないくらい劇的に回復して、2018年にもまた日本に来てくれて嬉しくて泣いて、そんで今年、ついに死んでしまった。死ぬ直近の日付でもYouTubeにライブ動画が上がってる。この人も、死にゆく過程にバックトゥザフューチャーのデロリアンみたいな燃える轍を残していくさまを、おれにまざまざと見せてくれるタイプの、大好きな人やった。

 


テリー・ホール (1959~2022)


 スペシャルズっていうバンドは、10代のおれにスカのノリを教えて、「音楽ってばとにかく楽しくなきゃしゃーないもんなんや!」の精神をしっかり植えつけてくれた存在や。

 社会のクソなとこにブチギレて沸き起こったパンク・ロックから音楽を好きになってった思春期のおれにとっては、その頃出会ったバンドたちの中にスペシャルズみたいなのがいなければ、下手すりゃ「音楽=何か良う分からんムシャクシャへの対抗」程度の考えでこの音楽への熱は終わってたかもしれんのや。

 たまに「青春パンク」みたいなジャンルのバンドに中高生の頃没頭してたのに今では青臭くて聴けたもんじゃない、みたいに言うてる人もいるけど、多分そんな人々の一員になってたやろうな。どんな音楽でも、焦燥感とかフラストレーションへの当て馬だけで終わらすのはもったいないよ。

 でも、今になって当時よりいろんな角度でいろんな音楽を聴くようになって感じるのは、本質で言うならスペシャルズも、その頃のパンクバンドと大差ないほど、あるいはもしかするとそれら以上に、時代に対する鬱屈さや暗さをその音楽に含んでたバンドやったんよな。黒も白も入り混じって、何なら当時の来日公演の映像では黄色もごちゃ混ぜになってディスコを貸し切った会場で踊り狂ってるようすに、一見じゃそのダークさは捉えきらんかっただけで。

 ただ確かに、当時からずっと、ボーカルのテリー・ホールはその喧騒の中でも憂いのある目と声をしてた。スペシャルズってそういうバランスもカッコよかったよな。

 2017年に観に行った来日公演でも、踊り狂う観衆とバンドの真ん中にぼんやり立って、それでいてメッセージ性の強い歌詞を歌ってた。ここんとこYouTubeのおすすめに彼のいろんな年代でのインタビュー動画が良く上がってくるようになったけど、どの時代のテリーもそういう佇まいをしとる。気持ちの浮き沈みもあったやろうけど、観てるとやっぱりちょっと可愛いんよな。

 改めて思うに、この人がいることによって、おれにとってスペシャルズって、他のスカを演るバンドたちの中で際立って、文字通りスペシャルになってる気がするよ。


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 直近で聞いた訃報から思い当たるのを拾っても、こんなふうに個人的な思い入れが、頭から湧いてくる。

 こうしていろいろ書けるほどに彼らを好きになって良かったな、って自分をほめたい気持ちもある。けど、やっぱり寂しいもんやね。

 今年も好きだった人を幾人と亡くしたけど、その一方では、将来彼らと同じくらい大好きになる人間が、もしかしたらどこかで生まれたかもしれない。それは今の段階では分からないし、今すぐ出会っても現時点のおれにとってはただのベイビーちゃんぐらいにしか思わないやろうな。

 でも、そうやって新しいお気に入りが今年もどっかの土地に根っこを下ろし始めたと信じなければ、枯れ木だらけのこの地上で、細々と暮らしてく励みにならんのや。

 そんで、そんな希望的観測に加えて、まだこの人生が何十年か続いていくならおれは、こうしたまだ見ぬ根っこたちの存在にいつか気づけるように、あるいは彼らの方から同じニオイのするおれの存在にいつか気づいてもらえるように、「何かを好きになるためのアンテナやエネルギー」は、これからもずっと持っておかないといけんな、と思う。

 たとえこの先、かすかな電波を感じ取ろうとするおれのアンテナがどんどんデカく重くなって、日々老いる我がの背中に圧しかかっても、これまで好きになってきた人たちに教えてもらった楽しさや感動をその支柱や甲羅や燃料にしてでもこの背骨、自重で折ってはならないし他重に折らせてもならない。

 やってさ、例えばおれは30年の人生の半分以上を音楽好きとして暮らしとるけど、好きなミュージシャンの死に際には触れられても、逆に自分よりずっと後の世代の生み出すものに震え上がらされるような体験って、まだ皆無なんよ。

 おれがすっかりジジイになったとき、若いころのB.B.キングみたいなヤツがハリッハリの声でブルースを歌ってるのを世界のどっかで観られるとしたら?それがどんなに嬉しくて気持ちの良いものなのか、今のおれには分からない。そんな未知の新しい感動が先に待ってないと、古いものにロマンを見出したこの半生、簡単には折り返し地点を曲がれないよ。

 そんなことを夢見つつ、もともとズタボロの古い靴をさらに履きつぶして、将来に向けた重たいアンテナの刺さったリュックを背負って、ただただ自分の感性が喜ぶような、好き好きだらけの鉱脈を過去にも未来にも探すこと。それが、おれが好きなものを追いかける本質や。


 なぁ、自分より前時代のものが好きって性分は、見てくれほど気ままでやさしい道楽じゃないやろ。

 いつか来る新しいものの中に古いニオイを掘り当てるっていう、気の遠くなるような遊びやもんな。


 てなわけで、好きやった人の命日が増えていく。おれは絶対に忘れんようにするから、みんなみんな、安らかに寝てください。 会えて良かった。




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