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  • 執筆者の写真bunkeiedison

フォークの人になりたいよ

更新日:2022年6月26日





正面切って自分の主張をぶつけるのもたしかにひとつの方法ではある。
しかし僕は、自分の日常生活をそのまま歌うことが最高のプロテストソングではないかと思ったのだ。

高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」


 ボブ・ディランのことを「フォークの神様」と呼ぶ奴は信用できない。

 この呼称への異論は2通りある。


 第一にディランは神様じゃない。神様やったら、あんなにも人間の社会や文化や生活を見つめた歌なんか作れない。神様が本当にいるにしても、それはディランじゃない。

 そして第二に、ディランはジャンルとしてのいわゆる「フォークミュージック」だけの人じゃない。端的に言うと、60年代前半の「風に吹かれて」だけの一発屋じゃない。彼はフォークもロックもポップもジャズもブルースも歌ってきた、いわば「アメリカの音楽」全体の人や。だからスゴいんやと思う。81歳おめでとう。

 そんなふうな異議申し立てを、おれはボブ・ディランを好きになってから10代、20代を通して、彼のアルバムを集める度により一層、ずーっと腹の中に蓄えてきた。


 けど、30歳が近づいてきて、この2方向の異論のうち、片方についてはちょっとだけ考え方が変わってきた。

 ディランは「フォーク」の人、ではあるかもしれんなぁ、って。


 思えば、10代、20代と本当にいろんな音楽を聴いてきた。パンクにファンクにソウルにスカに、ジャズにブルースにジャイブにジャンプに、カントリーにロカビリーにロックンロールに。どの順に出会ったかはもはやどうでも良いくらい、どれを聴いてもピンと来たものは全部平等に好きになった。

 年をとってきて、たまに「昔どハマりしてよく聴いてたバンドをパッタリ聴かなくなった」「久々に聴いてみたら全く魅力がわからなくなってた」なんて体験を耳にするようになったが、そういうのはおれには無関係の症状や。うちの棚にあるCDやレコードに、1枚たりとも要らない子はいない。

 そりゃあ、買ってみて初めて聴いた時点で「そないやな…」て思って手放した音楽はあるよ?けど、一度病みつきになったものに冷めたことは、音楽に関しては一度もない。逆にあの頃の「そないやな」が時を経て聴くと「イケるやん!」になることはあっても、ね。


 この、おれが好きな音楽に対して未だにジャンル問わず興味を失わないのは何故なのか、それを何となく考えることが増えてきて、その1つの答えとして思うようになったのが、「おれの好んで聴いてきた音楽は、全部引っくるめて表現するとひとえに『フォークソング』だったんじゃないのか?」っていう説明なんです。


 カッコつけた大層な歌詞じゃなくて、言いたいことをすんなり言ってる等身大みたいな歌詞の方が、自分の生活とか暮らしに寄り添ってる感じがして、嬉しくなった。

 プログラムされたような緻密な音楽よりも、統率された演奏にしろルーズな演奏にしろ、「人間が弾いてる!」って実感できるような音楽にこそ、どっぷりノれた。

 イキきった技量であったり見た目であったりステージパフォーマンスであったり、そういうやべぇ音楽に飲み込まれて聴き入ってると、「こんな人間でもええんやで」「どうなってもイってまえば案外イケるで」みたいな包容力を感じた。


 自分が惹かれた音楽体験を(無粋とは思いつつも)統計的に思い返していくと、今挙げたようなぼんやりとした特徴があって、それらが全て、「人間のすることや業を肯定して包みこむ」、という意味では「フォーク=民俗」的って言えるんちゃうかな、って思う。


 やからこそ、ボブ・ディランに話を戻せば、音楽の様式としてはフォークもロックもポップもジャズもブルースも多々あれど、彼のやってること自体はこの60年間のキャリアで一貫して「アメリカで起きたことや、これまでアメリカが育てた文化を歌にする」っていうことただひとつで、その業績はどこを取っても「フォークミュージック」に他ならないんじゃないかと考えるようになった。


 というわけで、ディランを「フォークの神様」なんて呼ぶ奴は依然アホやと思ってるけど、おれはそんな彼を、とてもよく似た表現ではあるが、こう形容したい。

 「フォークの人」と。



 そしておれ自身も、「フォークの人」になりたいと思う。

 わざわざここまで書いたのに、この言葉を聞いて「戦争を知らない子供たち」をバンダナ巻いて歌うおれを想像した単純な奴はおらんやろうな?


 今までも何曲か歌を作ったけど、その大半は自分がそれまでに見たこと聞いたこと言われたことみたいな、「自分の暮らし」っていう主観の域を出なかった。

 いや、自分の生活に根ざした主観を持つ、そのこと自体はそのままで良い。

 正確に言うと、これからもたまに曲を作るならば、おれは自分の視点から自然にものを捉えた歌詞が、同時にいろんな人びとの生活や暮らしをも見つめてることになるような、そういう民俗的というか、まさに「みんなのうた」な歌詞を書きたい。一生に一作だけでも良いから!


 今この世間を過ごしてて、もしも周りにそういう歌がとっくに溢れてるなら、こんな自発的な目標は立てないで、「世の中にある『フォーク』な歌をいっぱい聴きたい」くらいで良かったんよ。

 でも実際は、流行り歌はめくるめく移り変わるほど生まれても、「みんなのうた」はそうそう出てこんじゃんよ。人々の関心も多様かつ個人的になってって、今や同世代同士でも共通言語が減ってきてる気がするもん。だから、もしこれからもおれが死ぬまでこんな状況が続いたときの保険として、いっそ自分で作ろうと心がけとこうかなと思う。

 逆に、もし今後おれが「これや!」って大納得できる歌が世間にいっぱい溢れたら、自作するって言う目標は喜んで捨てるよ。おれにとって、音楽を聴く幸せと作る幸せはピッタリ同等やから。


 そして、「フォークの人」って言うのは何も別に、音楽のことに限った話では無い。おれは自分の生活丸ごとを指して「フォークの人」でありたい、とさえ思ってる。


 20代までは本当に、「他人は他人、自分は自分」その一辺倒で暮らしてきた気がする。30歳になった今でも自分の基調はそこにあって、やっぱり自分の好きなことに関しては、絶対に誰にも邪魔されずに一生楽しみたい、とは依然考えとる。

 若い頃を振り返ると、形成されゆく自分の価値観を他人に曲げられまいと躍起になってた覚えがあるが、それは自分以外の影響で自分の主観の成長に予期せぬ変化を加えられるのが怖かったんやと思う。宗教アレルギーとも言えるほど、世の中でたまに見かける何らかの勧誘という行為が大っ嫌いやったのもその良い例で、自分の中で確固たる信念というか、何があろうと踏み込ませない領域みたいなのが完成されてたならば、そもそもどんな勧誘や宗教観も笑って見過ごせたはずなんや。

 そんで今、良い大人になったおれは、若い頃のそういう頑張りとそれが原因で経験した苦労や挫折のおかげで、時たま世間で出くわす自分の価値観とは異なる不条理の大抵を笑ってやり過ごせるような、極めておめでたい人間になった。


 それじゃあ今こそ、他人の暮らしにもしっかり目を向ける頃合いが来たんじゃないか、って思うのだ。もう自分の主観の土台はある程度、経験から来る泥んこみたいな自信で塗り固めたんやから、その見張り台から周りを見つめたって、そう簡単には崩されないよ。

 それを裏打ちするように、30歳の誕生日を迎えるまでのここ1年でいろんなことを意識的に初体験したが、今になって内容を思い起こすと「他者を見る」っていう行為を連想させるものが多いんよ。文通を始めてみたり、フィルムカメラで写真を撮ったり、フード配達でいろんな人の玄関に行ったり、マッチングアプリで飲み友達が出来たり。

 この初体験シリーズは東北の三陸海岸を一人旅して締めくくったけども、そこで出会って喋った地元の人たちとの会話を思い出すと、11年前の震災のことは彼らの中での共通認識というか、共通言語みたいなものとして共有されてる気がした。

 おれはそういう、人々の中にある共通認識をもっと知りたいし、知るべきや。この意欲にこそ、20代までと30代からの自分の違いを作れると見出した。

 何よりそもそも、それを知らないままのおれでは、「フォークソング」は作れない。


 友だちも等しく30代になっていってるはずや。

 みんなそれぞれ自分の生活みたいなものは出来上がってるんかなぁ。どの学年で出会った友だちであろうと、枝分かれしたあとの人生の経験の差は、これからもどんどん積み上がってく。それにも増して、この多様な娯楽や課題の溢れる時代。おれがおれの見張り台から彼らの暮らしを見つめることを怠れば、友だちとの共通言語のようなものも減っていくかもしれない。そうなってしまえば、おれの「フォークソング」の歌詞は何語で書けばええんや?

 9割くらいは単に一緒に酒を飲みたいだけやけど、そういう観点からも、友だちとはたまには会っていたい。

 大抵みんなおれよっかマトモに暮らしとるんやし、こっちは何の気も使わんで済むもんね。他人を羨んだり妬んだりするような神経は、とっくに擦り減っておれにはもう無い。



 おれはそういう、フォークの人になりたいよ。これを30代の目標とする。


 ただ、この目標はfolksがあってのことなのよ。これから出会うすべての人たち、みんな仲良くしてください。




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