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  • 執筆者の写真bunkeiedison

ジョージア、アラバマ、テネシー漫遊記⑥ 「9月16日(土)」






 メンフィスからジョージアへ戻る日の朝。だいぶ早めの起床、ロビーで朝食、そんで外でコーヒーと一服。板についてきたけどこれも最後。

 荷物をまとめてフロントでチェックアウト。なんとチェックインしたときと同じマダムじゃないか。笑顔で「もうスーツケース無くさないようにね!」って言ってくれた。嬉しいなぁ。

 往路で途中マッスル・ショールズに立ち寄ったように、復路でも経由したい場所をこのメンフィス滞在中に見つけてあるので、そこへ行く時間も見込んで9時頃、早めに出発した。ジョージアの友人宅へは夕飯時より前に着けたらええかなぁ。寄り道を含めると距離にして700㎞の全行程。ロングドライブも不思議と久しぶりな感じがする。


 帰りに立ち寄りたいところというのが、メンフィスから170kmくらい離れたミシシッピ州のテューペロという町にある、エルヴィス・プレスリー生誕の地なのだ。南東にひたすら走って、フリーウェイを降りてからの道中は絵に描いたような片田舎って感じ。自然も多くてのどかな風景が続く。

 そして到着した「エルヴィス・プレスリー・バースプレイス」も、そんな心休まる雰囲気の延長線上にあった。エルヴィスの生家を中心に、幼少期に通った教会の建物なんかも移設してきて出来た、大きな公園みたいな穏やかな立地。訪問客には犬の散歩がメインと思われるご近所さんみたいな人もちらほら。


 ウェルカムセンターに入り、教会と生家の中を見れるチケットを買う。あとはミュージアムも見るオプションもあったんやけど、エルヴィスゆかりの品々はメンフィスでいっぱい見たからここでは割愛。ラックに置かれたパンフレットに目をやると意外に日本語版も揃っとった。他のとこじゃあんま日本語見んかったから新鮮。


 教会でのガイドツアーがちょうど始まった時間みたいやったので急いで向かい、中に入って正面に向かって整列された椅子の空いとるところに座る。この教会はガワだけがエルヴィスが通った当初のまま保存されてて、この地に運ばれてきてから屋内を展示のためにきれいに改装したんやそう。はじめにおばちゃんのガイドさんの説明があってから四方の壁のスクリーンが下りてきて、プロジェクターで当時の教会の日曜日の様子が映し出された。ちょうど座ってるおれらの席も映像内で教会に集った人びとの一員になってるような格好になる。

 スクリーンの中の牧師さんが音頭を取って、人びとが古いゴスペルを歌いはじめた。現代のおれらもガイドさんが指揮者のように手を振るのに合わせて、誰からともなく歌いはじめる。

 そっか、ゴスペルって今も昔もみんな普通に歌えるんやなぁとふと思う。おれ以外どうやらみんなアメリカ人っぽいしな。まぁおれもこういう音楽が好きなほうやから歌える曲もあるよ、I'll Fly Awayとか。けどさ、当たり前のように時代問わずみんな共通の歌があるっていうのが、文化的に良いなぁって思ったよ。本来、みんなのうたというかさ、フォークソングってそういう土壌みたいなところから生まれるやん。もちろん日本人にもおじいおばあから小っちゃい子まで知っとる歌のひとつやふたつはあるやろうけど、そういう歌に対して何か特定のベクトルというか、思い入れがあるわけじゃないし。おれは自分自身に特別な宗教があるわけじゃないけど、みんなでゴスペルを当たり前に、信仰っていう共通の対象を思い浮かべながら歌えるような文化があるのは、面白いなぁと思う。けどそれってちょっと全体主義的なのかな。まぁええか、とにかくこのときおれはそれを何となく「良いなぁ」って思ったんよ。

 一通りゴスペルの合唱が終わったところで、牧師さんが講壇に一人の男の子を呼び寄せた。可愛らしい顔した少年が、ちょっと照れつつみんなの前で上手にゴスペルを歌って、拍手が沸く。何を隠そう、これがのちにメンフィスに移ってロックンロールの大爆発を引き起こすことになるエルヴィス・プレスリーなのです。やんややんやで映像はフェードアウトしていき、最後はおまけのエンドロール的にこの建物がここに移設されたときに撮影された映像が流れた。トラックで豪快に教会引っ張ってますやん!

 そんでスクリーンがロールアップして、現代の教会に引き戻されるっていう仕掛け。これ、素朴ながら良い展示やったな。もちろんグレイスランドなんかと比べりゃ規模は全然ちゃちいけど、それやからこそ良かったんやと思う。そう、ここはエルヴィスが何者でもなかった、裕福でもなかった出発の地。豪勢なエンタメが揃っとったらスタートの実感が湧かないよ。


 次はいよいよエルヴィスの生まれ育った家の実物へ。ほんまに掘っ立て小屋というか、例えるなら空港で見かけるコンテナをいくつか寄せ集めたくらいの小さな小さな家。エルヴィスパパが手作りで建てたこの家は表と裏にドアがあり、2つとも開けると一直線に出入りできる造りやからショットガン・ハウスって呼ばれてたというのをグレイスランドの展示で見たが、実物はまさにそのとおりの見た目。ドアを開けて入ってみる。

 家の中をほぼ半分に仕切るように壁があって、それぞれベッドのある部屋とキッチンのある部屋になっとった。ちょっとした説明をしてくれるガイドさんがいて、「この部屋のこの家具はそのまま当時のものです」なんてことを教えてくれる。すごいよな、ということはもう90年近く前の家具やで。この家で育った子どもが日曜日にさっきの小さな教会でゴスペルを歌ってたのが、アメリカを代表する音楽スターの一生の、草創期なわけか。この家が無ければビートルズやディランなんかも、まったく違うかたちの音楽やったかもしれん。もしかしたらおれもここまで音楽を好きにならんかったかもしれん。大きく言うとそれら全部のバースプレイスなんだよ。少なからず人生を音楽に救われたと本気で思っちゃっとるこんなおれからしたら、やっぱり感じ入るものがあるよなぁ。


 あとはリフレッシュがてら、広い敷地内を散策。緑が豊富で池には噴水もあり小高い丘もあり、おれの育った千里ニュータウンによくある広大な公園と雰囲気が似とる。ちらほらとエルヴィスの銅像や記念碑があるのは大きく違うけどね。落ち着くなぁ、気持ちのいい土曜日の午前中。

 エルヴィスグッズを買うチャンスはここが最後かなと思い、お土産も多めに買う。特にリーゼントのあひるちゃんが可愛かった。


 さて、ここから先しばらくはもう、ジョージアまで500km近く車で走っただけになる。アラバマ州に入るとフリーウェイは本当にだだっ広い緑を左右に見渡しながら、カーブひとつ無い道路を行くばかり。休憩中にインスタで大学時代の後輩がポルシェを買ったみたいな投稿を見たけど、ぜひ何とかしてアメリカに持ち込んででも走ったほうが良いぜ。おれのこの、バカみたいに真っ赤なヒュンダイでも気持ち良くてサマになるんやもん。羨ましいなぁ。


 ロングドライブ中のいろんな事情でも書いとこうかな。

 実際にアメリカで運転し始める前段階では、おれは何より給油のしかたが不安やったね。日本でも人との対面が嫌で出来るだけセルフのスタンドを選ぶような奴やからね。ほんま初めて給油するタイミングが来たときは、キモいまでに内輪ルールがいっぱいあるタイプのラーメン屋に初見で入るくらい怖かった。

 アメリカのガソリンスタンドは(少なくともおれが今回旅した地域は)セルフ給油ではあるんやけど、ポンプのとこにある機械が日本のクレジットカードじゃ使えないんで、旅人は結局売店にいる店員さんとやり取りせにゃいかんのよ。なので、まずは空いてるポンプに車を停めて、必ずスタンドに併設されとる売店へ行くところからスタート。このときポンプに書いてある番号を見ておくのを忘れんように。

 スタンドの売店は日本で言うコンビニみたいな立ち位置で、品揃えも豊富やからここでドリンクなりおやつなりを買うのもアリ。場所によっては売店のドアを開けた瞬間マリファナのニオイがするスタンドもあるけど。とにかくレジのとこに行って、お兄ちゃんなりお姉ちゃんなりに「ナンバー3のポンプで20ドル分給油したいです」みたいに伝えてお金を渡す。そうするとポンプが給油できる状態になるってわけ。日本のセルフスタンドでも店員さんがスモークガラスとか監視カメラ越しに給油ポンプの制御を操作しとるけど、つまりアメリカじゃそれを売店の人がレジと兼業でやっとるんやね。

 給油が済んで、万が一自分が前払いした金額未満で満タンになった場合は、もう一回売店のレジに戻ってお釣りをもらうっていうやり取りが発生する。ポンプごとに精算機とか作ってくれたらええのに…。ただ、おれはスタンド初挑戦のときに車のガソリンメーターがちょうど真ん中でお試しに20ドル分入れたら面白いくらいピッタリ満タンになったので、それに気を良くして旅の最後まで「給油はメーター半分で20ドル」を遵守したから、店員さんとのやり取りは最低限に抑えれたよ。まぁ、普通の人はそんなことでここまで困らんやろうけど。あとはガソリンの種類はオクタン価でレギュラーとプラスとプレミアムで分かれとった。たぶんおれは基本レギュラーにしとったんかな?ガソリンタンクがまだ半分行ききってないときはレギュラーより単価の高いプラスにして調整したり、みたいなことはしたかも。入れる種類を変えれば燃費も多少左右されてたと思うけど、給油が遠のいても休憩が取れなくなるだけなのでおれはあんまりこだわらんかった。

 前もちらっと書いたかもしれんけど、スタンド以外にはウォルマートによく寄った。軽食もあればエナジードリンクもあれば、ちょっとした薬や服も何でもござれ。それでいてセルフレジも完備、もちろんトイレ休憩や昼寝にも。困ったときに付近を検索したら決まってフリーウェイ沿いにあるから頼もしかった。これもまた、普通の人ならノープランでそのへんのどんな店にでも立ち寄って楽しむのも旅やと言うでしょう。おれも誰かと連れ立って旅をするならそっち派や。ただ今回の旅はあこがれの音楽しか見とらんかったから、他のことでは下手な労力を使いたくなかったんや。おれって保守的なとこはとことん保守的やなぁ、と思った。

 フリーウェイを走る、行き交う車たちを眺めるのも好きやった。トラックはバカでかいし、運転の荒い奴はありえないほど荒い。あとは日本じゃ見れないレベルの整備不良の車がたまに平気で走ってるのも面白かった。アメリカには車検の無い州もあると聞くし、あってもそこまでシビアなもんじゃないんやろうな。おれ、そのときは荷物失くしてそれどころじゃなくって書かんかったけどさ、アメリカに着いて初めてこの車乗って友達の家まで運転したあの夜、隣の車線の前方を走ってた車のタイヤがバーストした瞬間を見ちゃったからね。おっかねえなぁ。


 さて、何やかんやで走り抜いたものの途中で時差の線を跨ぐのをすっかり忘れとったために、友人宅へ到着したのは19時を過ぎた頃やった。やっとこさスーツケースに詰め込んでいた和菓子や日本酒やおつまみやカップラーメンを渡すことができた。長かったなぁ。

 久々に気の休まる環境に帰ってきた感じ。友達が買いすぎて飲み飽きて家に溜め込んでたビールがあると言うので、4、5種類ほどガブガブといただいた。心落ち着いたらこうもスイスイ飲んじゃうか。明日は友達にジョージア州を案内してもらう。見に行く場所の作戦会議やお互いの近況や世間話をああだこうだと喋って、24時に就寝した。良い週末になるなぁ、これは。





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