top of page
検索
  • 執筆者の写真bunkeiedison

ジョージア、アラバマ、テネシー漫遊記⑤ 「9月15日(金)」







 前日の驚嘆の連続で疲れ切ってぐっすりなおかげで、寝覚め良くロビーで朝ごはん。そんでコーヒー注いで外で一服。アメリカってコーヒーに入れる甘いやつのバリエーション、めっちゃあるよなぁ。ふだん全然入れへんのに試してみちゃう。キャラメル味のやったっけな。

 きょうも博物館をいろいろ回るけど、夜はビール・ストリートの様子も見物したいんよね。昨日より行動時間は長くなるかもしれん。まぁ、疲れたら昼寝でもすれば良いか。


 まずは宿から車でわずか5分くらいの公民権運動博物館を訪ねる。この土地でおれが見に行く場所の中では、唯一ここだけが音楽と直接結びつきのない目的地かも。けどテーマとしてはおれの好きな音楽と密接に関わるものなのだ。ことアメリカ南部が生み育ててきた黒人音楽にとってはね。

 ここは1968年、キング牧師が射殺されたロレインという名のモーテルが、所在地はもちろん、建物までそのまま博物館になった場所。モーテルだけじゃなく、犯人が発砲した側の建物も施設になっとる。受付のお姉さんが優しい人やったな。同じ時間帯に訪ねてきた見学者は白人7割黒人3割におれオンリーワン、て感じ。みんなここに関心があってやって来たという点では差は無いけどね。

 展示はアフリカからこの大陸へ奴隷として連れてこられた黒人の歴史に始まり、公民権運動の時代以前の差別の歴史がジム・クロウ法の紹介まで連綿と続き、そしてメインの公民権運動当時の事件やデモの展示があった。ローザ・パークスが離席を拒否したバスが実物の乗り物で再現されてたり。そんで見学者が最後に行き着く先がキング牧師の殺された日に宿泊しとった306号室、そのありのままの姿やった。アメリカに生きる黒人の背負ってきた歴史をスタートから見せていったうえで、その変革のために立ち上がった、奔走した象徴的な人物が突然に撃たれて死んでしまったまさにその場所の、まさにその瞬間で時が止まった有り様に対面させて終わる。胸に残るような展示やったと思う。

 お土産を買って博物館を出ると、敷地のすぐ脇からエンドレスで流れてるチープな電子音のクラシック音楽が耳についた。初めはゴミ収集の車でも来とるんかな?なんて思っとったけど、それが一向に止まない。よくよくピーピーする音の出どころを観察してみると、簡易なテントを立てて座り込んどる黒人のおっちゃんがいる。遠巻きにそのテントに掲げられてるサインボードをちらっと読むと、「なぜ大金を叩いてこんな博物館を建てて運営し続けているのか。こんな施設が今いる貧困層の黒人に何をしてくれるのか。この建物に消えていく金で誰が救えるのか」的なことが書かれとった。

 思えば確かに、半世紀以上前の公民権運動の闘争の歴史をレガシーと捉えて保存するっていう理念は、(それが人々への啓蒙によって将来的には黒人の抱える困難の解消に繋がるとしても、)キング牧師たち活動家がとにかく「今!」「今!」と現状や未来に向けての突破口をもがい掴もうとしとった当時にはおそらく無かった考え方やアプローチな気がする。同じ大金を使うなら、過去を保存するためか今の貧困の救済に充てるためか、どう使うのが正しい?牧師たちが今ここにいたら、どっちを支持するんやろうか?

 おれにその答えがわかるはずもないけど、博物館の中と外を通してそういう両面を見れたことは勉強になったなぁと思ったよ。


 そのままの流れで公民権運動博物館のすぐ近くにあるブルースの殿堂のミュージアムへ。これはブルース・ファウンデーションって財団がやっとる、毎年偉大なブルースマンを殿堂入りさせてくやつで、簡単に言えばかの有名なロックの殿堂のブルース版やね。その本拠地がブルースの聖地でもあるメンフィスにあるってわけ。なのでミュージアムの展示はあくまですべてのブルースマンが対象やから、ここでは必ずしもメンフィスゆかりのブルースマンに限らないコレクションを揃えとる。

 入り口のベンチにはスタックスにも縁深いリトル・ミルトンの銅像が腰かけとった。建物は財団のオフィスが本体で、ミュージアムはその一部のスペースを使って併設されとるだけやから、展示の規模も入館料も比較的お手頃やった。けどさ、並べられてる品物自体はその印象に似合わず、まぁ~すっごいんよ。ちょっと挙げるだけでもガス・キャノンの使ってたジャグ、ラビットフット・ミンストレルで使われてたアイテム、ハウリン・ウルフのスーツケース、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの着てたハッピ、ジョン・プライマーの最初期のギター。ここまではどの施設でもメインテーマはメンフィスらへんの音楽に絞ってあったから、こんなにもいきなりボーダーレスに時代もいろいろ、土地も津々浦々のモノホンをいとも簡単にバンバン出されるとビビっちゃうやんけ。それでいてスペースが限られとることもあって、1個1個に大した解説とかも付いてないし、細かいところまで時代順とか地域別に飾られてるわけでもない。なのでここはね、ブルースが好きであればあるほど抜け出せなくなる場所やと思うよ、自分の思い入れとか読み漁って得てきた知識とかで補完して向き合おうとしちゃうからね。現におれが入るすぐ前に見学し始めたおっちゃん、入り口すぐの一発めのエリアで立ち止まって永久に進んでなかったもん。今もあそこにおるんちゃうか。おれやって時間に余裕があるならそうしたいよ。何ならチケット代を家賃代わりにしてここに住んだってかまわないよ。


 車を宿に戻して、徒歩でダウンタウンへ向かう。ついにメンフィスと言えばこんな町並み、って感じの中心地へ。もうお昼どき、良い感じの音楽が鳴ってるレストランの多い中、ブルース・シティ・カフェっていうかっちょいいお店へ意を決して入る。ライブスペースもあって、夜はブルースのライブを観ながら飲み食いできる店やね。店内にはここで演奏したであろうたくさんのビッグなミュージシャンの写真がある。

 意を決して店に入る、ってのはほんまの話で、おれは一人でどっかに入店するのが苦手なのだ。旅先に限ったことではなく国内でもやけど。思えばホテルやファストフード店以外でまともにお店で食事すんのはこの旅で初やな、そのこともいかにおれがレストランに入るのがおっくうやったのかを物語っとるよね。おれは、大人になったらこういう性格も治ってくもんやと思ってたよ。

 こういうときに誰かといっしょに来れたらなぁって感じるよ。だって頼んだガンボ・チーズ・フライって名物ジャンクフードもすごい美味いんやけど、めっちゃくちゃに多いんだもん。ポテトにチーズがどっさり乗っかった夢のようなデブ食べものが、皿持ち上げるのも大変なくらいの重量で提供されてわろた。まぁ、ただでさえ食べきれん残りをお持ち帰りする文化がデフォであるもんな、アメリカの食事って。けどおれはこのあともミュージアム行くから、そんなとこにこんな危険物は持ち込めないんよ。

 こう見えて食は太いほうなんやけど、アメリカのスケールに敗北感を味わって退店。店の雰囲気はちゃんと味わえたけどね。いや〜、ここばっかりは切実に友達と連れ立ってワイワイ飽食したかったよなぁ、ブルースの流れる中でさぁ。


 有り余るカロリーをたくわえて午後の部へ突入。同じくダウンタウンにある、メンフィス・ロックンソウル・ミュージアムなる博物館を訪ねる。

 ここはどこかのスタジオやった跡地とかそういう由来じゃなく、とにもかくにもこの偉大な音楽の土地メンフィスが生んだロックンロールやソウルミュージックを一堂に会させて思いっきり贅も粋も尽くして称えようぜ!っていうノリでこさえた博物館な感じ。やから展示の規模も元々の建物のサイズに左右されないし、テーマもメンフィスの音楽ならオールオッケーなぶんレーベルやジャンルの制限も無いんよ。そういうわけで、もしメンフィスを訪れた音楽好きが時間の都合で1か所しか博物館を回れないって言うんなら、おれなら彼に泣く泣くここをおすすめするやろうな。

 入ってすぐ目にするのは、かつて貧しき南部の民たちが経た、デルタ地帯の農村の暮らしからメンフィスへの移住というプロセスの紹介。しっかり農具とかも置いてあったりする。白人も黒人もメンフィスでのより良い生活を求めてやって来たってのを展示のスタート地点にするのは実はとても大事なことで、ロックンロールとソウルの材料になった黒人のブルースやゴスペルや白人のカントリーが、他のどこでもないメンフィスで揃ったっていう事実をものすごく分かりやすく伝えてくれとる。ちなみにエルヴィスも生まれはミシシッピ州で、お父さんが手作りで建てた小さな小さな家から家族でメンフィスに引っ越してきたんやで。やから、メンフィスじゃなくてもロックンロールやソウルが爆発的に興ってたかと言われると、これは相当わからないんよね。つくづく偉大な土地やで。

 その導入を踏まえてミュージアムを進んでいけばあとはもう、あこがれの音楽の実物大博覧会やね。けどここでは特に年代ごとのジュークボックスとかラジオ局ゆかりの機材とか、そこらへんのハード系の展示が強かったなぁ。やっぱこういう点が今まで見てきたスタジオ跡地や個人邸タイプの展示とは違う強みなんやろうね、まるっとメンフィスの音楽を取り巻いた環境を紹介するっていう感じ。その対象は音楽機材にとどまらず、当時のビール・ストリートにあったネオンサインとか、いわゆる有色人種用の扉のある建具とか、街の景観そのものをつくってたモノまで並んでた。やっぱもともと展示施設として建てられとるからかな、スケールがでかかった。けどそれでいてもちろん、カール・パーキンスのよく使ってたギターとか、個々人にまつわる実物だってちゃんとあるんだよねぇ。そう、1館でいろいろ詰め合わせされとるところがおすすめポイントなんよ。

 ただし、お土産って側面ではここでは大して食指が動かんかった気がするなぁ。ミュージアム自体はさすがに特定のレーベルとか特定のミュージシャンとかのグッズほどのブランド力は持ち合わせとらんから、しゃーないけどそこはちょっと弱いよね。


 ロックンソウル・ミュージアムを出て、まだ日の明るいビール・ストリート付近をしばらく散策しとったけど、やっぱり胃もたれするもんでいったん宿へ退避、うたた寝で回復を図る。ガンボチーズフライ恐るべし。

 目を閉じたと思えばあっという間に20時前、たまたまやけどナイスな頃合い。すっかり暗くなったあこがれの夜のビール・ストリートへ繰り出す。近づいていくほど、街の雰囲気が昼間と全然違うことに気づく。


 夜のビールストリートではまず、通りの両端やいくつかある横筋との交差点とかにゲートが設けられとって、中に入るにはIDのチェックや手荷物検査を受ける必要がある。この感じ、6年前に行ったニューオーリンズのフレンチ・クオーターやバーボン・ストリートの夜と似とるなぁ!ゲートを見てやっと思い出したよ。このチェックがあるおかげで、ストリートの内側では酒を飲みながら往来を歩ける自由が担保されるのだ。アメリカでは路上飲みなんてご法度やからね。

 さっそくストリートを歩けば、耳には両側の店から鳴り響く音楽、鼻にはいろいろ混ざったニオイ、目には楽しげに歩くやんちゃそうな輩の目立つ喧騒。これやなぁ。街全体がジュークボックス、みたいな感じがする。ニューオーリンズのストリートと違って並み居るハウスバンドの中にブラスセクションはほぼ見かけんかったし、ジャズが演奏されとるお店は皆無。その代わりブルースやロックンロール、ソウル・ミュージックがどこかしらから常に聴こえる。それが嬉しい。

 どこか一箇所に留まってそこのお客さんになるより、ビール・ストリート全体の観察者でありたかったから、出店でバドライトだけ買って飲みながらウロチョロする。お店でドギマギ注文するのが苦手ってのもあるし、いつまで経っても腹が減らないってのもあるけど、おれは心底この、歩くたびに大好きな音楽が生ででかい音で聴こえてくる感じが好きや。しかもその土地の生んだ音楽が。この旅行記の中で何度でも書くけどさ、こういう音楽はかつておれがそれらを好きになった頃は、本当におれの部屋のヘッドホンからしか聴こえなかったんだよ。

 最後にB.B.キング・ブルース・クラブのすぐ隣にあったミュージックショップで軽くレコードを眺める。レコードの陳列箱にスタックスとかメンフィス・サウンドのコーナーがあった、それだけで感動やね。飛行機で持って帰ることもあり(往路でスーツケース失くしかけとるんでね)、あんまし大切なもんは買えないので安いシングル盤を適当に4,5枚ほど購入。レコードを聴く奴のお土産にしよう。


 ルンルンでホテルに帰って来たのは22時頃。メンフィスで過ごす最後の夜は、ちゃんと過ごせて良かったよ。





閲覧数:24回0件のコメント
記事: Blog2_Post

©2022 by サンテ・ド・はなやしき
Wix.com で作成されました。

bottom of page