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  • 執筆者の写真bunkeiedison

ジョージア、アラバマ、テネシー漫遊記③ 「9月13日(水)」






 ジョージアで迎えた初めての夜は見事な大爆睡。疲れはバッチリに取れて朝5時に目が覚める。友人の出勤とともに出発するにもまだ時間があるから、二度寝をかまそうと思えばかませるもののやることも考えることも満載で、これ以上身体が寝たがらなかった。まずは軽く荷造り。まぁ、荷を造るほどの持ち物もありませんけどね。情けない。


 借り部屋を出てリビングに降り、友人にレンチンした混ぜご飯とチキンをご馳走になる。何も知らんおれに友達は車で旅するうえで有益な情報をいくつか教えてくれた。車に付いてるモニターはUSBで繋ぐだけでスマホ上のGoogleマップを映し出してくれるし、カーステレオとも連携されること。この近辺では「バッキーズ(Buc-ee's)」なる巨大なガソリンスタンドがそれだけで観光スポットになるくらい幅を利かせててぜひ立ち寄るべきこと、などなど。旅のおともに、彼が先日その噂のバッキーズで買ったという塩っ辛いビーフジャーキーをもらう。ラベルに載っとるビーバーがマスコットキャラだそう。いい感じのマヌケ面しとる。シンパシーを感じる。


 朝7時前に2人仲良く家のガレージを出る。友人の車は職場へ、おれの車はメンフィスへ。教わったとおりUSB挿して、車のモニターにGoogleマップを同期することにあっさりと成功。この家から目的地メンフィスのホテルまでは、まっすぐ行けば420マイル、つまり約670km。大阪から東京までの距離よりも余裕で遠い。きょうは1日のほとんどを運転席で過ごすことになるなぁ。

 替えのパンツすら無いおれがこのまま最終目的地のホテルへ直行するわけにも行かねえので、ひとまずの目的地はどこよりも何よりも服屋。お店が開店し始める時間帯に自分が到達してそうな地点を逆算して考えた結果、アラバマ州バーミンガム付近のショッピングモールが候補地に浮上したので、とりあえずそこに10時過ぎくらいに到着できるよう走っていくことにする。ややホテルまでの最短ルートからは逸れる形になるけど、旅なんてもんはそう来なくっちゃやね。


 ジョージア州からアラバマ州へ入ったところにあった休憩センターで40分ほどのひとやすみを挟みつつ250km超を西へ西へ走り、10時半頃に件のショッピングモールに到着。「ザ・ショップス・オブ・グランド・リバー」という名前の、りんくうタウンのアウトレットモールに雰囲気がやや似ているスポット。店舗に安心の庶民の味方、H&Mが入っとったので11時の開店とともに直行、頭からつま先までの衣類を一揃え購入。レジのお姉さんもビビったやろうな、ただでさえ珍しい日本人が、平日の開店間もなくパンツやら靴下やらジーパンやらパーカーやらTシャツやら大急ぎでカゴに詰めて持ってきたんやで。ちょっとした珍事やろ。そそくさと車の後部座席でパンツから何から着替えて、再出発。


 きょうの総距離は700kmくらいになりそう。とはいえ車での移動は、日本でのそれと比べた場合、表示される距離ほど実はそこまでたいそうでもない。ひとたびでっかい幹線道路に乗りさえすれば道は広く、信号も勾配もカーブも少ない。都心部を離れれば渋滞もない。停まるタイミングがぜんぜん無いのでむしろいつ休憩を取ろうか?って感じ。日本のサービスエリアみたいに、フリーウェイ沿いに直付けで作られた休憩所はほぼ無くって、一定の間隔で「次の出口で降りればガソリンスタンドは〇〇、ファストフード店は〇〇がありますよ」っていう看板が立っとる。要するに高速道路に料金がかかんないから、休憩する車は都度下道まで降ろしていくスタイルなんよな。やから走行し続ける車に無駄な減速は少なく、余計な渋滞の種が生まれない。

 例外的に高速内にある施設として、さっきアラバマに入ってすぐ休憩センターに寄ったって書いたやん?そこは日本のSAみたくフリーウェイの中にあってさ、ビギナーのおれはてっきりそこに入ればお店やガソスタもあると思ってんけど、それは州境に設置されたちょっとした施設みたいな建物で、公園や公衆トイレや自販機が置いてある程度のもんやった。ということで、アメリカの高速道路の休憩は基本完全に道路の外、民間企業に任されとるんです。

 なので、おれは勝手に自分の休憩ポイントの目安を「ガソリンメーターが半分まで減ったとき」か「フリーウェイ沿い近くにウォルマート(=アメリカじゅうにあるクソでかスーパー)があるとき」のどっちかのタイミングに絞ってたよ。これからの旅行記のなかでも、特筆してなければだいたいそんな感じの休憩を適宜取りながら運転しとると思っとってください。給油のことや買い物のことは、どうせそのうちどっかのタイミングで書くやろうから、きょうは割愛する。


 ほんでさ、そういう休憩中にリクライニングをバカみたいに倒しながらメンフィスまでの道のりを確認しとるとき、おれはすごいことに気づいてしまったんよ。アラバマ州を走るきょうの道中にマッスル・ショールズに寄れるんじゃないの?って。


 マッスル・ショールズっていうのは、この州にあるただの田舎町のひとつ。しかしそれはふつうの地図上では田舎町なだけの話。音楽、ことおれの好きな音楽を頭の中で一枚の世界地図に起こしてみるならば、この地名はどんな大都市にも負けんくらいぶっとくて黒い字で載せるくらい、大事なとこなんよ。

 1960年、この町でリック・ホールっていう音楽大好きの偏屈なお兄さんが「フェイム・スタジオ」っていう小さなスタジオを作った。頑固なリック・ホールが納得いく音楽だけを作ってくうちに小っちゃい魔法がでっかい魔法を呼び込みつづけて、この町はロックやソウルやリズムアンドブルースの傑作が生み出されるたびに噂を聞きつけた化け物ミュージシャンが録音に訪れるという果てしない好循環のなか、60年代や70年代を通して大名盤を世に送り出した。

 それは単なる昔話で済むことじゃない。フェイム・スタジオの全盛期から50年近く経って、その魔法の余波みたいなもんが大阪のニュータウンに住んでたある音楽大好きっ子の思春期な心を、めっちゃくっちゃに揺すぶった。ウィルソン・ピケットのギンギンの歌声と、その後ろにビシッと貼り付いてるかっちょいいバンドの音。感動というより恐怖やな、「こんな熱い音楽があっていいんですか?!」ってハラハラしたよ。マッスル・ショールズっていう地名を初めて読んだのはストーンズのスティッキー・フィンガーズの解説やったかな。もっと深く知ったのは、何年か前に公開された当時のマッスル・ショールズの音楽シーンを振り返るドキュメンタリー映画。出てくるミュージシャンみんな、この土地にあこがれた目をしとるんよ。もっと最近公開されたアレサ・フランクリンの伝記映画でもフェイム・スタジオでの録音シーンが再現されとった。マッスル・ショールズが生んだ音楽に感動した瞬間をこうして挙げてってもキリがないけどさ、とにかく、どれもこれも、おれは今でも初めて聴いたときと同じくらいしびれちゃうんよ。

 ほんで調べてみると、この土地が音楽の魔法にかかる出発点になったあのフェイム・スタジオの見学ツアーが、きょうの15:30からあるじゃないか。間に合うやん。行くっきゃない。たぶんホテルのチェックイン時間も大丈夫やろう。マッスル・ショールズにはフェイムから独立したマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオっていうとこもあるんやけど、よし、とりあえず魔法の始まりのフェイムだけは見に行こう。魔法のほんの端っこで心動かされた日本人、いざ60年前にぜんぶが始まった中心地へ、真っ赤なヒュンダイを飛ばすことに。この状況まるごと、10代の頃のおれに見せてあげたいよ。


 服を買ったショッピングモールからあこがれのフェイム・スタジオまではちょうど200kmくらい。15時くらいに到着、見学ツアーにしっかり間に合ったぜ。しかしマッスル・ショールズはほんまに何の変哲もない小さな町。フェイムはその中にある何の変哲もない小さな建物。知らん人は素通りしちゃうんやろうなぁって感じやけど、おれは写真で何度も見たことがあったから、不思議にすごい眩しく見えたよ。駐車場に車を停めると、そんな古びた建物に、けっこうイケイケな見た目のあんちゃん達が出入りしとる。そっか、フェイムは今でも現役のスタジオやもんな。

 おそるおそる中に入ってみると、スタッフらしき背の高いお兄さんが挨拶してくれた。「15:30からの見学ツアーに参加したいんですけど…」「もちろん良いよー。さっき2人参加者が来たとこだよ。開始時間までグッズとか見たりしててねー。トイレはこっちにあるよ」。優しいなぁ。おれはもう、昨日のアトランタ空港でビビっちゃってんのよ。お金を払いつつ、日本から来たこと、きょうはジョージアから来たこと、マッスル・ショールズに来たきっかけとか、ちょっとお話できた。すごいなあ、フェイム・スタジオの中におるよおれ。フェイムのトイレでしょんべんもしたよおれ。

 15時半になるまでに、おれとおれの前に来てた女子2人(イタリアから旅行中らしい!)に加えシアトル(たぶんそうやったはず)からやって来たマダム1人もご来訪で、お兄さんに連れられ参加者4人でフェイム・スタジオのバックステージ・ツアーにいざ出発。


 バックステージ・ツアーと銘打たれとるとおり、見学の対象は録音スタジオだけでなくリック・ホールが使ってたオフィスなんかも含まれとる。来る前はとにかく時間がちょうど良かったからってだけで選んだコースやけど、実際建物全体を見れるとなると、スタジオとかオフィスとかそういう部屋で区切った感動なんかに限らずさ、それらに至るまでの廊下や階段や壁、どこに視線をやってもところ狭しと飾ってあるヒット作のジャケットやポスター、楽器、写真からして、おれにとってはボーダーレスにすごいんよ。

 おれがこういう音楽を好きになった頃は、こういうシビれるソウルミュージックのCDなんてさ、未熟な知識でがんばって必死に探したところで、ブックオフや古本市場の1店舗につき数枚しか見つけられなかったんだよ。それがこの建物には、その本物があらゆるところに溢れかえっとる。直接音楽にかかわらない椅子や置き物でさえ、実物のそばに飾られた写真にふと目をやると、おれのあこがれのソウルシンガーが何十年も前に、今まさにそこにあるその椅子に座ってたりするんだよ。

 学生の頃、「なんでおれの好きなものは何十年も前に終わったものばっかりなんや!」「なんでおれの過ごしてる学校の中にはおれが好きなものがどこにもないんや!」なんて、何度思ったことか。それが、この建物内ではおれのあこがれとおれの現実がいとも簡単にリンクする。この旅でこういう体験を訪ねた場所ごとにあと何回も重ねることになるんやけど、毎度泣きそうになったよ。ガキがカッコつけて悲観することなんてなかったんや。あこがれはここにあったじゃないか。

 お兄さんは部屋を案内するたびに、そこにあるものを指さしつつ当時のエピソードを説明してくれる。そういや、建物内を連れられてく途中でイタリアのお姉さんが彼のTシャツのバックプリントを見て、「それってエリック・チャーチのグッズ?」「そうだよ、こないだライブを観に行ったんだ」「わお、わたしすっごいファンなんです!」みたいなやり取りがあった。正直おれはあんまり知らないアーティストやってんけど、日本での知名度と外国でのそれがめっちゃ乖離しとるバンドとかってあるよなぁ。ちなみに、心配しなくてもこのすぐ何日か後、おれはこのエリック・チャーチという名前をナッシュビルの博物館でデカデカと見るんやけどね。

 やっぱり録音スタジオの中に入ったときが格別に鳥肌が立ったなぁ。ギターやらドラムやらオルガンやらが並べられててさ、ちょうどアレサ・フランクリンの「リスペクト」のシーンまんまの雰囲気でさ。スワンパーズとかフェイム・ギャングとか、白人黒人問わず腕自慢のセッションミュージシャンがギラッギラのシンガーたちと大傑作のテイクを生み出した、まさにおれにかけられた魔法の爆心地。案内スタッフのお兄ちゃんが当時まさにここで録音された音源をモニタースピーカーから流してくれた。初めて魔法にかけられたのはこの地点から遥か離れた自分の部屋のCDラジカセから流れた音やったけど、あれから何年も経っておれはついにこのあこがれの土地にやってきて、今一度あの頃とおんなじ魔法を搾りたて純度100%でぶっかけられとる。この魔法、もう一生解けないよ。ひとしきり写真撮影や見学の時間を取ってくれてから、お兄さんが補足のガイドをしてくれたうえで、「何か質問はありますか?」って聞いてくれたけど、おれ含めた見学客4名、みな沈黙。他の人の心情は知らんけど、少なくともおれが何も言わなかったのは、興味が無いわけでも、シャイだからでもないんだよ。ただただ胸から湧いた感動が喉につかえて口がきけないんだよ。

 見学のあと、お土産をいくつか買った。自分用にはフェイムのロゴが入ったマグカップ、今回泣く泣く行けんかったマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオを興したスワンパーズのCD。そして、赤ん坊が12月に生まれると聞いてる友達のためにこれまたフェイムロゴ入りのベビー服。友達は子どもにも音楽が好きになってほしいって言っとったけど、この服がちょっとでもその魔法にかかるきっかけになればなぁ。別に音楽じゃなくても良いとは思うけどね、夢中になれる対象さえ見つかれば。


 大満足でマッスル・ショールズをあとにして、メンフィスへの残り250㎞を恍惚のまま真っ赤っ赤ヒュンダイで駆ける。中間地点で給油する頃には、気づけばそんな時間かって感じで日が落ちた。ホテルに着いたら件のスーツケースが届いとるのか届いとらんのか、そういう心配事はまだきょうのメニューには残っとるんやけど、もうどうにでもなっちゃってください、って気持ちになってきてしまっている。思い起こせば中坊の頃にロックンロールを初めて聴いたときもそっくり同じ、そんな感覚になったよなぁ。今も変わらずいつでもそんな気持ちにさせてくれるから音楽って好きや。


 21時前、メンフィスの宿に到着。位置は中心地から歩いて15分ほどの距離にあるところ、きょうから金曜、明けて土曜の朝までの3泊4日間はここをねぐらとする。駐車場に車を停めて、滞在期間の割に絶望的に小さい荷物を持って中に入ると、チェックインのカウンターで黒人のマダムが対応してくれた。カードキーを渡され、朝食をとる場所なりWi-Fiなり、いろいろのルールを案内してもらったあと、「それじゃおやすみなさい」。…何か足りねえなあ。

 「あの、もいっこ聞きたいんですけど、ひょっとしたらきょう、デルタ航空からスーツケースがここに届いてくれちゃってたりしてませんかね?ぼくはもともと飛行機でアトランタに来たんですけど、そのとき預けとった荷物が何やかんやの手違いで…」「スーツケース?うーん、ちょっと待っててね、そう言えばきょう私が出勤したときバックオフィスに…」。マダムがいったんカウンター裏へ行って、それほど間を空かず懐かしのコロコロ音とともに戻ってきた。「これのこと?」。

 …あった!!!おれのや!!!

 「そうそうそれです!あー良かった!もう戻ってこんか思た!それに日本人の友達用のお土産がいっぱい入っとるんです!彼はいまジョージア州で働いとって、やからぼくアトランタから来たんですけど、メンフィスはひとりで来て、えっとまぁええわ、あー良かった」「なぁんなのもう、そんなに心配してたの?それはここまでたいへんな旅だったのね」。慈悲深いマダムはカウンターのこっち側に来て、この哀れな日本人にハグしてくれた。ほらやっぱり。困ったときは思いっきり困り、助けられれば思いっきり安心して、ほんとのところを見せれたら、人は優しく接してくれるもんや、外人にだって。おれのリアクションにウケてただけという説もあるけどもね。ともあれチップを渡しておやすみ言うて、自分の部屋へ。だー、ド疲れた。


 部屋はおれにしては奮発してゆったり良い部屋なんよな、やけどあいにく味わっとる余裕も無い。日本との時差がちょうど良い感じなので、余ってない体力を絞り出して転職関連の調整メールを新旧の会社にそれぞれ送る。出発前に受けた電話が大昔に思える。

 ついさっきまで貴重な財産やったはずの買いたてのH&Mは、一瞬にして無駄づかいの余計な安物と化した。悔しいので紙袋からTシャツやパーカーを引っつかんで寝間着にして爆睡。あこがれのメンフィスに着いたはずやのに、この時点では実感無かったかな、無理もないけど。








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