つちのこがウイルスに言ったこと


日記を定期的に書かなくなって、まる1年が経った。
ここんとこの1年間は、宣言したとおりラジオという形で自分の動静を記録してきた。
※運営に削除された初回と第2回を除いたエピソード群は以下にアーカイブがあります。
記録の目玉やった「エレキギターをつくろう」は、フルでYouTubeにも移植した。
この1年で完成したエレキギターは、のべ3本でした。
良ければこれ、聴いてみてください。
人生で最も無益な8時間になることでしょう。
まぁでも、そういう時間も一生のうちには大事やと思うよ。
無駄に有益に生きては早死にするよ。
音声での記録をしたからといって、自分の思いや考えのすべてをそのような媒体で残せたかといえば、勿論そうではない。
そらそうやろ、それができたら現代を生きるエッセイストはみんなラジオDJかYouTuberになっちゃうよ。
メディアってのにはそれぞれ向き不向きがある。
どこにも残さずに置き去りになった自分の言葉を、このままこの、将来的に振り返っても異質なこと間違いない大感染症時代に棄てていくのは、何とももったいない気がする。
ということで、この1年間おれの携帯のメモに突発的に書き残された、何とも不安定な言葉たちを、今の自分ができる限りの追記を添えて、この記事に保存することとします。
これらはおれの肉声にも、歌詞にも、SNSのつぶやきにもならなかった、いわばコトダマのカスや。
でも、今こうして改めて掘り返すことで、新鮮な外の空気に触れて、今後何らかのアイディアの育つ土壌になり得るかもしれん。
肥溜めのようにあたたかいこの腐葉土の中に、もうすぐ終わるおれの28歳の1年間を、埋めておくこととします。
過去イチに無駄に生き明かせたよな、よくもまぁこの1年。偉いぞおれ。
この無意味さにナンセンスよ、咲け。
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人の寿命とは、与えられたコップにできるだけきれいな水を注いでいくこと
エラそうに深いこと言っちゃって。
多分やけど、件のウイルスで有名な人が死んじゃったニュースをよく見かけたときに書いたんじゃなかろうか。
おれの思考回路でいうと、コップを例え話に使うことは常套手段ではある。
日記を書いてた頃を振り返っても、これとか。
あとはこれの②の話もちょっと類似してるところがあるなぁ。
「できるだけきれいな水を」ってのがミソやな。
例えばいざ死んだときに死人が閻魔さんの前に自分のコップを持って並んで、いろいろと尋問されたあと、最後にそのコップを飲んでみろ、と言われるとする。
いざ飲んでその不味さに吐き出した奴は、面接がどれだけ好印象でも地獄行きにされたりして。
一方で濾したようにきれいな水でも、検尿か!っちゅうくらい量が少ない奴は、今まで何しとったんじゃ、って怒られたり。
そんな民話というか神話というか、ありそうな気がするけどな。
あったら前世のおれが書いたんじゃないの、多分。
最近知ったこと ・大半の原付スクーターの後輪のサスペンションは片側にしか付いてない(車輪の軸は片側で繋がってる) ・東京には清瀬市とかいう市がある
…なんでこんなんメモった?
音楽好きなんて、明らかにとっくに死んでるものを「死んでない!」て言い張り続けてるような、モンティ・パイソンの死んだオウムの店員みたいな奴
おくりたくないびと
音楽が船なら錨みたいなもん この先でもこの上でも待ってない ひたすらこの船の後ろに、下にいる この船がどこまで進んで引きずられようが、ここにいる 好きな音楽があった場所を、今の音楽が忘れないように
この1年もまたいろいろと好きなミュージシャンは死んだからなぁ。
メモった時期はトゥーツ・ヒバートが死んじゃった頃かね、きっと。
そのくらいに映画館で「真夏の夜のジャズ」っていう映画がリマスター上映してたりもしたんよ。
60年以上前のジャズフェスティバルを撮影したサイコーの映画。
マジでスクリーンからでっけぇ腕が伸びてきてそっち側に連れ去ってくれんかな、て思ったもん。
映画の中のダイナ・ワシントンと一緒にWhy not take all of meって歌っちゃうくらい。
わがままで意固地な偏屈野郎なんちゃうかな、音楽に関してのおれの本性は。
「やからこそこの現代にフィットしたルーツ・ミュージックを」、なんて前向きに思うときもあるんやけど、基本的にはこの「錨」スタンスなんよな。
俺はこういう人間だ、なんてビッグダディばりに開き直るつもりはないし、現行の音楽にも好きなもんはいっぱいあるはずなのに、どこかこの一連のメモみたいな、誰に言っても仕方ないようなやりきれない気持ちになることが、しばしばある。
好きな人が死んだときには特に。
今後もこの錨は重くなっていくんやろうな。
「おくりたくないびと」ってちょっと面白いな。
オリンピックを賭け五輪にすれば儲かる
この1年間も引き続き日記書いてたとしたら、これで1ネタやってたやろうなぁ。
別に本音で思ってるかどうかは関係なく。
なんで挑む前から夢をあきらめた?って聞いてくるやつは見かけるが、 なんでそんなすぐに夢を叶えようとした?って聞いてくるやつは見かけない
少しだけ内容が似とることを歌詞に書いたことがある。
うーん、何て言うか、あっためてるときがいちばん楽しいってこともあるからな。
…あんまええ補足が思いつかんな。もうちょいこれも頭の中であっためるか。
自殺を止める方法を探すより人を冷凍保存できる方法を探すべき
書いた時期は何となくわかるなぁ。
いっとき続いたもんな、こんな話。
もっとも、その前からも今も、続いてはいるんやろけども。
今が嫌になったのを無理にその今にとどまらせるのは、止めるほうも止められるほうも大変で。
それなら、今じゃないもうちょい先に送ってあげるのも一つの手ちゃうの、みたいな。
ゆくゆくは悩める若者が寄ってたかって冷凍保存されたがるようになったりして。
将来の人口問題も解決するかもしれん。
…そういうブラックユーモアを交えた考えを、ふとメモったんでしょうな。
あんまりブラックとも思っとらんけどな、死んじゃう人が減るんなら。
似たような話題は、過去の日記で言うとこれが近い。
こんなメモよりかはもうちょっと真面目に書いた覚えがあるよ。
マスク文化が続くと人類の鼻がどんどん低くなる
類義語
この齢になってなお、人に相談を受けてもただただ聞くことしかできん 自分のようにやってみたら?なんて口が裂けても言えん その理由はふたつ、 第一に自分の生き方は他人に簡単にできるもんではないと思ってるし、 第二にもし他人がこの生き方で上手くいったらおれが生きてる意味が無くなるのが怖い そういう意味で、自分が果たせなかった悲願をすっかり子に託す親の思考はおれにはまだわからん 自分より上手くいく自分を、自分とは別の人間でわざわざイチから作り出すなんて、、 おれが「これは我ながらウマいこと言った!」て思いながら話した渾身のアドバイスが相手に思ったより刺さってなかったとき、実は少し安堵してる自分がいる
実に「自分には他人と違う感性があってほしい」って願望が透けて見える文章。
ほっとけ、メモしてあったもんはしゃーない。包み隠さずじゃ。
どんだけ卑しかろうがこういう考えは、おれがこのろくでもない生活をろくでもないとも思わず平気で暮らしていくためには、まだ要るんよ。
あと、親が子に託す云々のくだりは、今書き写してて思ったけど、「自分の果たせなかった目標を果たす子を育てた自分」っていう新たなアイデンティティが形成されるんやと考えれば、そうそう理解しがたいことではないんかもなぁ。
そもそも親子の間柄は「別の人間」とまで隔たったものとも言い切れんしな。
いずれにせよまだそのへんは、あっしには関わりのねえことでござんす。
そもそもこんな奴に相談なんてめったに来んよ。
歌をうたえるんなら普段から腹から声出せ、と言われても 普段出さない声で普段しない動きをするのがロックンロールちゃうんけ
これはこれ以上付け加えることはない。
実際に誰かに直接言われて書いたわけではなかったと思うけどね。
よその現場じゃ指の先を詰めた人が出たらしい、ひどいクリスマスやこと おれなら右手のほうがまだマシかな、なんて思ったり それか、いっそ全身詰めてくれたほうが助かる
なんちゅうこと書いとんねん。
左手はコードを押さえたいんかな?
「ぼくを生かしたかったら生活費を投げ銭してください」って言いながら一生をライブストリーミング配信してたらおれは生きていけるんやろうか?
これに続く文章は「それが無理ならおれはアザラシやラッコに頭が上がらんわ」でした。
別にそういう生活をしたいとは思ってないよ。
もっとも、今は部分的にでもそれに近い生き方をしてる人って実際いそうやけどな。
最近Pornhuberていう言葉を知ってびっくりしたわ。
何でもかんでも真空管が入ってるほうが良いと思ってる奴は多いが、 真空管が入ってる人間は世に少ない
メモの中に、たまにこういうキャッチコピーじみたものが挟まっとる。
良いフレーズやね。
小さい頃自分にうまくできないことがあると大泣きしてたのはきっと、 その頃は自分が得意なことがまだひとつも見つかってなかったからや
これはウマいこと言えてそうで、もうひとつな気がする。
作詞家とかがもうちょっとシェイプアップしたことをすでに書いてそう。
どこにも行けない非日常がこうも続くと、 外に出かけることこそが「帰る」ことになりつつある
これぞナンセンス的表現、て感じやね。
なんかここんところ、世の中全体がますますこういうナンセンスの源、宝庫になってる気がするよ。
日記書いてる頃もどっかで書いたと思うけど、やっぱり大学の中で研究し続けるよりよっぽど俗世間のほうが教材になるよ、ナンセンスっていうものは。
今回の記事のタイトルも、「亀がアキレスに言ったこと」っていうお話をもじった。
盆栽も凡才も根っこが無い
IPPON!とでも言ってほしいんか?
鑑賞者が途中で寝落ちすることを想定して作られた映画とかないんかな 寝かせるタイミングとか起こすタイミングとか、ちょうど見させる夢の内容とリンクするような
これは家で「バンデットQ」て映画を観たときに書いた覚えがあるよ。
将来的には実現されてそうなアイディア。
あんま度が過ぎたら頭おかしなりそうやけども。
夢で見た不思議な職人芸 木材に見えないほど細かい切込みを入れておく ↓ ドロドロに煮詰めた塗料を熱々のまま木の片面に塗る ↓ 冷めないうちに反対側をバキュームで吸う ↓ 塗料が導管や切込みを通して染みていく ↓ 大量の冷水をぶっかけて塗料を洗い流す ↓ 狙った部分にだけ塗料が残る
ギター作りが盛んなときはこんな夢も見てたようです。
これとは別に、親知らずを抜いたときに枕を血だらけにしながら見た夢も長々とメモが残ってたけど、割愛させていただきます。
別にグロい内容じゃなかったよ。
なぜか演劇のシナリオでした、すんごいしっかりとした設定の。
あの世にいる好きなミュージシャンの数と、まだこの世に生きとるあるいはこれから生まれる好きなミュージシャンの数 それだけで言うなら正直おれが死んだほうが早いとこまでとっくに来てんのよ それでもなお、こうしてちゃんとまっとうにこの世に生きててやっとんねんから、 おれに何かこれ以上の特別な活躍を期待せんとってくれ
おいおいあんまり凹むなよって感じのメモやね。
意識してなかったけど、こう振り返ってみると全体的に後ろ向きなメモが目立つ気がする。
まぁ、特別な活躍はそもそも誰も期待してへんけども、そのコップにはできるだけきれいな水を注いで、せいぜい生きとってください。
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以上となります。
こっから向こう1年も、ラジオではないけど別のメディアで何かを作ろうと思っとるので、引き続き日記の定期更新は無しです。
でも、何かしら書こうと思い立ったら書くこともあるかと思うよ。
ご覧の通りけっこう考えのタネも貯まるもんやし。



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