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今までの人生で怪異を感じた話

執筆者の写真: bunkeiedison
bunkeiedison
2019年11月24日
読了時間: 10分

更新日:2019年12月1日

みんぱくは、ええとこだっせ



人は、理解できない現象の原因を説明するために、霊、神/カミ、悪魔、妖怪などの、見えない力の存在を想定する精神メカニズムを備えています。



今回は自分のエピソードの詰め合わせです。

信じるかどうかはどうでもよくて、読者の「精神メカニズム」とやらの、何らかの栄養になれば良いと思う。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




①



物心ついたくらいの子どものころから、ひどく熱が出たようなときに、決まって必ず見る夢がある。


場所はカンカン照りの、砂漠みたいな土地。

蜃気楼がよく立っている。


視点は普段のおれのままで、どこかから俯瞰で見てる、とかではない。


おれは右手に、コンビニでカップアイスを買ったときにつけてくれるような、小っこい木のヘラみたいなスプーンを持ってる。


あらかじめ、そのスプーンには小さい石ころが乗ってる。

おれは小石がスプーンから落っこちないように持った右手を、ずーっと眺めてる。


すると次第に、その小石が湯気を立てながらどんどん、どんどん大きくなっていく。

膨らみ続ける石の色は真っ黒の中から赤いマグマみたいなのが滲み出てるような感じ。

大きさだけじゃなくて重さも感じる。圧がすごい。


スプーンの上でどんどんでっかい球体になってく岩は、グラグラに震えながら、シューシューシューシュー音も立て始める。


でも、おれにはどういうわけか、「この岩を絶対にスプーンから落っことしたらアカン!」っていう意識がある。


すんごく熱いし重たいし苦しいし、何よりめっちゃ恐怖心抱いてるのに、脆そうな木のスプーンを右手で必死に持ったまま、岩から目を離せない。


巨岩の大きさがミニバンくらいになっても、自分の家ぐらいになっても、ずーっとずーっとその夢を見る。


やっと目が覚めたら、めちゃめちゃに汗をかいてたりする。



今でも、この夢が始まると「あ、おれきっと体調めちゃめちゃ悪いな」って思う。

今年の初めに引っ切りなしにこの夢を見た。

次の日医者に行くとインフルにかかってた。


この夢を見なくなった頃に、決まって熱は下がってる。



スプーンから岩を落っことした経験は未だに一度も無い。

落としたらどうなるんやろうな。



でも、「落とそう」って気すら絶対に起きないようになってんのよな、あの夢の中では。




②



一度、恥ずかしい理由から死にかけて、夜通し気を失ってたことがある。


そのときも夢のようなものを見た。

けど、後にも先にもあのときこっきりやから、さっきみたいな単なる夢とは別の種類のものじゃないか、と思ってる。



これもまた、視点はおれの主観やった。

(思えば俯瞰的な視点に立った夢や幻は、おれは一度も見たことがない。)


どこかは知らんが冷たいフローリングの床に、ものすごく脱力したおれが顔を横に向けて寝転がってる。

寝転がってるというか、床に完全にノビてるというか。

でも目は開いてて、フローリングの床は見えてる。


ふと気づくと、フローリングの床に、3つの器が置いてあった。

順に並んで、湯呑み、透明なグラスコップ、茶碗。

どれも初めは空やった。


おれが器の存在に気づいて間もなく、湯呑みにきれいな水が湧いた。

ほんまに上から注がれたんじゃなく、文字通り湯呑みの底から水が湧いたんよ。


グッタリなおれは何となしに「あぁ、きれいな水やなぁ」くらいで、不思議にも思わずにただ水が湧き出るのを見つめてる。


湯呑みが湧き出た水でいっぱいになって、おれが「あ、そろそろ溢れるぞ」と思った瞬間、湯呑みの水はギリギリのところで湧き出すのをやめ、今度は真ん中の透明なコップに水が湧き始めた。


「今度は透明やから水の量が分かり易いなぁ」なんて思いながらコップを眺める。

同じようにコップが満杯になるギリギリのところで、今度は残る1つの茶碗に水が湧きだした。


普通の陶器の、ご飯をよそうような茶碗。

水が湧いてくる。


ここでふと、「あれ?」と感じた。


感じたのは、この幻のなかで横たわってるおれやったのか、あるいは死にかけてるおれ自身の意識が介入してきたのか、あまりハッキリしてない。

とにかく「何らかのおれ」が「あれ?」と思った。

「この最後の茶碗が溢れたら、もう受け皿ほかに無いんちゃうか?」って。


2つ目までは溢れそうなとこで次に移行したのに、今度はもう他に器が無い。

茶碗の底から湧き出てる水が止まらんかったら、確実にフローリングの床に水がこぼれる。

どうしよう、ええんかな?


…そう思いながら茶碗が水で満たされてくのを成す術なく見つめてる間に、目が覚めた。


目が覚めたのは完全に、さっきまで気絶してたおれ自身のほうや。

フローリングの床じゃなくて、病院のベッドにいた。


小便も垂れ流しながら失神してたらしいから、その関係で見た幻なのかもしれない。

それならまぁ、普通の夢と似たようなもんなのかもしれない。


でも、何となく、嫌に自分の精神に引っかかってる映像なんよな。



今でもけっこう明確に覚えてるもん。



3つの器の意味も、何となく考えたりする。


初めはふつうに飲み物に使う湯呑み。

2つ目は中身の見えやすい透明なコップ。

最後は飲み物用でも何でもないけど、容量はある程度ありそうな茶碗。



最後の茶碗まで溢れてたらどうなったやろうか。



そのことは、敢えて考えすぎないようにしてる。今も。




③



小学校の頃はとにかく外で遊んでばっかりで、公園に飽き足らず町の小さなショッピングセンターをも遊具にして遊んでた。


夏の銀行のATMコーナーはとにかくクーラーがガンガンに効いてて、めちゃくちゃに走り回ってから入り込むとヒエッヒエでそれだけで楽しかったし、駐輪場の屋根や店の裏側の路地、何もかもがアスレチックやったな。



そのショッピングセンターで駆け回ってた、真夏のこと。


駐車場のフェンスにおれは掴まって遊んでた。

高鬼でもしてたんやろうか?

あの、鬼より高い位置におらなあかん鬼ごっこ。

まぁ遊びは何でも良い。


ふとフェンスの土台のコンクリを見ると、何か普通のゴミやら虫やらとは違う、見慣れないものが落ちてるのに気づいた。

フェンスから降りて、よくよくそいつを近くで見てみる。


大きさは3センチも無く、赤っぽい色。

質感を見て、まず「生き物や」とだけ認識できた。


でも、丸まっててなんだか良くわからない感じがする。

小さいながら手足らしきものが見えてる。

となるとこっちが頭か、じゃあこれは仰向けなんか、…とどんどん体勢を理解してったその時。


そいつの目がまだ表に出てきてなくて、赤っぽい皮膚の中に黒っぽく埋まってるだけや、と分かったその時、ハッととんでもないことに気づいてそのフェンスから一気に走って逃げ出した。


そのころちょうど小学校の道徳か何かで見たばかりやった、赤ちゃんが生まれるまでの過程の写真。

あれの、7、8週目くらいの胎児の様子にソックリやったんよ、今見つけたものが。


そんなものが、真夏の寂れたショッピングセンターの駐車場の片隅にぽつんと落ちてた。


今よりずっと怖がりやった当時のおれの頭の中は思いっきりパニックになった。


フェンスから不用意に降りたことでもしかしたら鬼に捕まったかもしれんけど、そんなことは丸っきり記憶にない。

覚えてるのはあの胎児のビジュアルだけ。

騒ぎになるのも怖かったから、その頃誰にも言わなかった。



ビックリするもんを見たとき、人間はその知識の積み重ねの中にあるものからやり繰りしてその説明をつけようと必死になるという。

赤ん坊の不思議を習いたてやったおれにとって、あれはそういう説明しかつかなかった。


その当時のおれがそう判断したんやから、今のおれからしてもそうやったんやろうなぁ、と思い続けてる。



人生のいろんな場面で起きたことには、その当時の感性が責任を持てばいいと思う。


後からジジイになったおれが不用意にそれ以降の経験則で塗り替えていくもんじゃない。




④



これも小学生の頃、ミドリガメを3匹買ってもらったことがある。


ミドリガメって言うとなんか穏やかな響きしとるけど、成体の呼び名はミシシッピーアカミミガメですな。

かなり生存力が強いいわゆる外来種で、ある程度の市街地なら公園の池におるカメはたいていこいつと思われる。


安く売ってたこともあるんやろうが、カメ飼育セットなんてものと一緒に買ってもらって、家の一室に水槽を置いて飼い始めた。


それぞれ名前はつけてたやろうか?覚えてないなぁ。

甲羅の裏側の模様が違ってたりしたから見分けはついてたとは思う。


特に、3匹のうち1匹はあまり発育が良くなくて、他の2匹と大きくなるスピードが違ってたから目立ってたな。



さて、ミドリガメは水棲のカメとはいえ、水槽にも浮き島なんかで陸地を作らなあかんし、たまには甲羅干しと言ってしっかり日なたぼっこさせる必要がある。

普段は室内で飼ってたが、そういうときは昼間に母親がベランダに出して日に当てておいてくれた。



ある日学校から帰ってくると、母親が申し訳なさそうにしていた。

聞くと、いつものように甲羅干しのために外にカメの水槽を出してたところ、いつの間にかカメが1匹残らずいなくなってたらしい。

おそらくはカラスにでも攫われたかもしれない、と。


ほんまに突然のことでびっくりしたものの、それはもうどうしようもないことなんで、その日限りで水槽は洗って倉庫に片付け、おれの生活からカメ3匹はいなくなった。

飼い始めから1年もたんかったくらいやったんかなぁ、あれ。



で、それからしばらく経ったときのこと。


これもまだ小学生の時分、母親の買い物に付き添ったか何かで一緒に帰ってたときの話。

駅から大きな池のある公園を抜けて家に帰る途中、その公園の溝にカメがいた。


よく見るとカメは結構な大きさで、溝に甲羅が突っかかって動けないらしい。

池からはある程度離れた溝の中、どうやって入ったんや…とも思ったけど、池から溝を伝って生きてきたカメが成長した結果挟まったんかもしれない。


とにかく、上手いこと溝からカメを出してやって、池のほとりまで運んでやった。


運ぶ途中、池が見えてくるとカメのテンションが上がって手足を動かしだして、地面に置いたときにはカメにしてはなかなかのダッシュやったな。


母親はその様子を見て、あのとき飼ってたカメの1匹かもしれんね、と言った。

そうそう、助けたそのカメはミシシッピーアカミミガメやった。



時は経って、中学に入ってからの話。


校則が厳しい学校で、おれは中学のあいだ5キロ弱ほど離れた学校に徒歩で通ってた。

そのときも、さっきとはまた別の、池のある大きな公園を通るのがいつもの通学路になってた。


なんとその公園でもある秋の日にカメを見つけたんよな。


小学校の頃助けたのと似たような、立派に育ったアカミミガメ。


今回は溝ではなく、池からもっと離れたもはや丘になってる草むらの上で、手も足も頭も隠して縮こまってた。

重たい通学カバンを脇に挟んで両手ででかいカメを運びながら池のほとりへ。


こいつも池が見えてくると手足も顔もひょっこり出してはしゃぎ始めた。


その頃からあまり普段の出来事も家族とは話さなくなってきてたと思うけど、カメをまた助けた話は母親にしたような気がする。



展開が読めてきたとは思うけど、もう1匹カメ助けとんのよ。

今度は高校時代。


場所は中学のときと同じ公園。中高一貫校やったんでね。


これも秋頃やったんかなぁ、今回は小さい小さいカメやった。

公園の道の脇にちょこんと元気無くおった気がする。


片手で拾って、適当に水道場まで持ってって、水をかけてみるとわずかに動いた。


今回はアカミミガメではなく、その子どものミドリガメでもなく、それに比べたら多分そこまで生存力は無さそうなクサガメ。


おれは片手でクサガメを持ったまま公園を出て、そのまま家に帰って倉庫に眠ってるカメの水槽を引っ張り出した。


この頃になると、母親にはとくに何も言わなかったと思う。

カメを拾ったことは見てて分かったやろうけど。


1、2週間ほどやったか、それとも1か月やったか、クサガメを家で世話して面倒を見たら、だいぶ元気になってきた。

そんなら、とカメを公園に帰すことにした。


学校の終わった土曜日の午後、家からクサガメを片手で持っていって、これまでの2匹みたいに自力で池まで歩いていけそうなサイズじゃなかったんで、そのままおれの手で池にポイした。

あれからも元気に生きたんなら良かったが。



ということで、おれは3匹のカメを攫われたあと、3匹のカメに出会って、それらを助けたことがある。


たまたま飼ってた3匹のうち1匹が小さかったように、助けたカメも1匹は小さかった。



けど、あんなに助けてやったのに、誰も一向に竜宮城に連れてってくれそうもない。


まぁ、ええか。



自力でジジイになるまで生きれたらええな、と思うよ、最近。




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