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会報のトラ vol.7

執筆者の写真: bunkeiedison
bunkeiedison
2019年9月11日
読了時間: 7分

アンプ欲しい


「あなたの番です」の熱狂に見えたドラマの未来 — 視聴者の今をとらえたコンテンツのすごみ
『あなたの番です』がここまでヒットしたことによって、ドラマに限らず今後のエンタメコンテンツは、作品としての質よりも視聴者を楽しませる仕掛けが優先されていくのではないでしょうか。
かつてのように「家族で同じものを楽しむ」という機会が減った今、「多くの人々が一緒に楽しめる」ものは、それだけで貴重。ひいてはエンタメに限らずコンテンツ全般において今後は、「作り手の複合的な仕掛けで、楽しみを共有できる」ものが増えていくかもしれません。


ちなみにおれはまだ見たことない。

というかこの記事の論調からすると、リアルタイムで見てたのと、これから後追いで見るのでは全然意味合いが違う気がする。

もう見ないかもしれんなあ…


そういう話を今からします。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



この前の日記で映画を1杯のコップに見立てる話を書いた。


要旨を言うと、映画はだいたい2時間程度と長さが決まってて、それを初めから終わりまで一度に鑑賞するスタイルやから、どんなタイトルを観るにしても器の大きさは平等で、しかもその器に自分の感想を誰の干渉も受けず注ぐことができる、みたいなこと。


だからこそ、人との会話の中で好きな映画が話題にあがるとその人の感性が分かりやすいかもしれないね、っていう感じやったかな。


あの記事はだいぶ個人的に面白いと思っとるんで、良かったら読んでほしい。



で、おれが「コップ的」と評した映画っていう娯楽と、似てるようで全然違うのが、本日の議題のドラマなんよな。



世間様にもドラマと映画の違いで悩んでおられる愚かな人民はようけおるらしい。



上のような質問をしとるのがウジャウジャといる。

質問の数と同じ数だけ「ベストアンサー」とやらも出てるんやけど、パッと見で一番目立つ答えが、「映画の方が金がかかる」っていう違いを指摘してる声かな。


カネのことはおれは詳しく無いから、そういうベストアンサーに任せるとして、おれが思う一番の違いは、映画は映画館で観るもの、ドラマは生活の中で観るものっていうところやね。

当たり前すぎてガッカリするやろ。

でも、当然のことを深く捉えれたらこの世も天国やで。



でもマジで、この点は映画とドラマの違いの出発点にして究極の分岐点やと信じてる。


前の映画の話でも書いたけど、映画っていうコップには、予め制作した側が注いだメッセージなり芸術観なりが、ある程度の分量注がれてあって、残りの空白にそれを受けた自分のセンスや感想を注ぐことで、満杯のコップ1杯が完成されるねん。


その、映画に自分の感受性を注ぐ過程において、他人の感想に介入されたりすることはない。

だって、映画館で2時間、隣の席とも話すことなく暗闇の中で黙って映画と向き合うんやから。


もちろん映画館に行く前に下馬評が漏れて聞こえてくることはあるやろうし、そういう口コミをあえて参考にして観る映画を決める人もいると思うし、映画館を出た後にそういう評価サイトや友人の考察に触れたりすることで自分の感想が影響されることはあると思うよ。

でも、映画館に入って映画が始まった=映画側にコップを差し出された瞬間から、映画が終わって暗かった劇場内が明るくなった=自分側がコップに映画へのリアクションを注ぎ終わった瞬間までの、純粋な映画鑑賞の時間は誰の干渉も受けない訳やんか。


そこがドラマの見方とは丸っきり違う。



ドラマは自分の普段の生活の染み付いた我が家で見る。

1クール12話か13話ぐらいあって、毎週に1話ずつ放送される。

民放ドラマなら各話の途中にもCMが入る。

ショッキングめな意味ありげな次回予告が最後に流れる。


これくらい特徴を出しただけでも、ドラマが自分の感想だけで見るのに向いた娯楽ではないっていうのがお分かりだろうか。


もっと具体的に、あるドラマを「翌日学校でその話で持ち切りになるから毎週欠かさず見たいのに、お父さんが巨人戦見たせいで見逃した!」っていう、本当にキッズにありがちなエピソードで考えてみても良いかもしれんね。


巨人戦のように、ドラマをテレビで見るっていうことには、第一に家庭内での物理的な干渉が入り得る。

ビデオで録ったにしろ、次の日には学校で話題に上がるからその日のうちに見たい!っていうふうに、自分のペースだけで鑑賞のタイミングを決めないことも多い。


学校での話題と書いた通り、次に何より、流行ってるドラマであればあるほど、各話ごとに生活を共にしてる人々の間で感想をシェアしがち。

「あの場面どういうことやったん?」みたいな疑問があっても、シェアする者同士で次回の放送までにフォローし合えたり。

「あそこが良かった!」て自分が思ったところがみんなも感動してたら、より一層自分の感想に自信を持てたり。

「誰が犯人やと思う?」っていう次回以降の考察をみんなでするのも面白い。


あー、そんなん楽しいやろなあ。

おれあんまそういう経験無いわ。

半沢直樹の時かておれ留学中やったもんな。



ついでに言うと、こういう干渉性っていう点は、ドラマを見る側だけに限ったことではないよね。

そういう反応を見た上で、制作側が今後の方針や展開を調整する場合だってある。


ドラマのPR面でも、引用したニュース記事に書いてあった通り、展開や見る側の反応にしっかり呼応した策を取れば取るほど相乗効果は出る。


あと、制作側っていうのにはCMのスポンサーについても絡んでくるかもしれんね。



つまり、何て言うかな、映画をコップで例えたときの、1対1の状況に作品と自分が置かれる瞬間がほぼ無いんよな、ドラマを1作品通して見るっていう行為には。


常に生活の中の「生きたトピック」としてドラマは鑑賞される。


単にコップに中身を注ぐだけじゃないんよな…



何か、植木鉢でアサガオを育てたりするのに近いんじゃないかな。



植木鉢っていう枠組みはまずドラマの制作側が用意してくれる。

アサガオの種も制作側がくれる。

放っておいても、そのアサガオは芽が出て植木鉢に制作側があらかじめ挿した「あらすじ」っていう支柱に沿って育ちはするかもしれない。


でも、そのアサガオに水をやって育てたり、観察日記をつけて、それを見せ合うのが視聴者側なんちゃうやろか。


預かった植木鉢の中に入れる土だって、視聴者によってその養分が、「肥やし」が違う。

推理モノが好きやからと言ってそのドラマを見てる人の土には推理ドラマに対する素養が含まれてるし、出てる俳優が好きならその俳優に対する知識の肥やしがある。


一方で、単にそのドラマが流行ってるからと言ってそれを見てる人の土は、ドラマ自体に対する文芸的な素養は少なくても、SNSでばりばりと呟いたり、友達とたくさん話したりすることで、そのドラマに対する「水」はこまめにあげるかもしれない。


アサガオを育てるに当たって、視聴者側は独学で何もかも考えるわけではない。


栽培の手引きであったり家族、友達のアドバイスであったり、そういうものに影響されながらアサガオを育てる。

ネットのまとめ、考察サイト、リアルのコミュニティでの話し合い…そういうものがこれに当たる。


では自分の感想や考察は持たないのか、と言うとそう言うわけでもない。


自分は自分でこまめにアサガオの観察日記をつけるもん。

それをまたコミュニティ内で見せ合うことでどんどんアサガオの育て方が上手くなっていき、成長スピードは倍々で伸びる。


そういう形の栽培が最終的に上手いこと功を奏せば、アサガオはしっかり育ってたくさん咲く。

このアサガオが咲くことを現代では「バズる」とも言うらしい。


たくさん花が咲けばまたそこから種ができる。

制作側はまたその種から別のアサガオを来たる季節のために準備する。



つまり、そういうことなんじゃないでしょうか。

映画に対してドラマは夏休みのアサガオの栽培や。


夏休みを通して、暮らしの中でアサガオと向き合いみんなで育てて行くのがドラマという娯楽なんでしょう。



ちょうど「監察医 朝顔」とかいうドラマもあったそうなので、こういう着地点にしました。

これもまた、1回も見たことない。



ドラマの弱点として、そのシーズンでリアルタイムに視聴する機会を逃したら、リアルタイム勢の共有した楽しさまでは得られないんよなあ。


夏休みサボってたから、無理やり9月入ってからアサガオ育てなあかんくなったようなもんで…


そこらへん、ドラマの普遍的な面白さを保証できるか?って思わなくもない。

娯楽なんやし今おもろければええやんけ、とも思うんやけどね。




見てた人、おもろかったです?

「あなたの番です」。






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