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ししろ、知りしろ、知らせしろの話

執筆者の写真: bunkeiedison
bunkeiedison
2019年12月23日
読了時間: 6分

ビギナーズ・ディック


①

知恵をつける動物たる人間って、カシコになったら、もう簡単にはバカには逆戻りできない。

バカの思考はできないし、バカの悩むことで悩めないし、バカが笑うタイミングで笑えない。

いっぺん習ったり分かったり悟ったりしたら、もうその知識に対して暗かった状態には帰れないんよ。


「バカには戻れない、という話」 2019.8.3



②


A: 僕あの、映画の、「となりのトトロ」? あれ一回も観たことない。

B: …え、トトロ見たことないのが自慢? 何なんそれ。

A: いや、お前トトロ観たことあるやろ?

B: もちろんありますよ。

A: みんな一回はトトロって観てんねん。

B: そらそうですよねぇ?

A: でも俺はレンタルしたこともないし、あの何回も繰り返されてる再放送の網も、全部すり抜けて、生まれてから37年間、一っっ回も観てない。…スゴない?

B: いや観てないこと自慢ならへんねん、観てた方が良いですもんねぇ? …だから例えばオンリーワン的なことね、他人にできないような、僕、手品得意なんですけど、そういうのが自慢って言うねん。

A: ほなお前の方が自慢なってへんで。手品上手い人なんか他にもいっぱいおるし、今からでもみんなが頑張ったらお前に追いつく可能性あるやん。 ほなもうオンリーワンちゃうやん。

B: いや、でもね、でもね…

A: その点、その点な! 俺の「トトロ観たことない」は、もう今からじゃどうにもなれへんねん。 わかる? もうね、観ちゃってんのよ。

B: いや、「観ちゃってるけど何やねん」としか思わへんのよ。

A: いやだから、みんなが頑張って「これからトトロ観んとこ」ってしても、意味がないわけ。 だって、「観ちゃってる」から。

B: やめいそれ! 小馬鹿にしたような感じのヤツ!

A: いやだから、みんなが俺の自慢に追いつく方法がもうないやろ? 追いつける? じゃあ追いついてみてよ。 追いついてみて? 追いつかれへんやろ? なんで追いつかれへんの? 教えたろか? 俺が時間という壁に守られちゃってるから。

B: うるさいねん!!



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




あまり気づかれてないが、おれはトランプの大富豪のルールを未だに知らない。



たまにそれらしい話題になったときにカミングアウトすると、たいてい次に聞かれるのは、「今まで友達と『大富豪しよ』って場面無かったん?」っていう質問や。


…むろんあった。

いちばん古い記憶では、小学校の修学旅行の消灯前の空き時間、誰かが持ってきたトランプで遊ぼうってなったとき、そんな機会があったはずや。


おれは幼少期、すぐ顔が真っ赤になるほどの照れ屋やったことも手伝ってか、「自分の知らないことを他のみんなが知ってる」「ましてやそれをイチから教わる」そんな場面が大の苦手やった。

本を読むのは好きやったから、どうせ照れるなら「そんなんも知らんの?!」っていう注目よりも、「物知りやなぁ!」っていう反応による赤面のほうが遥かに良かった。


自分の知らないことに出くわしたら、その場では教わらずにやり過ごして、後々自分で調べてモノにしておく。

そんなことが少なくなかったかもしれん。


だから大富豪に誘われたときも、初めの頃は「眠いからやめとく」とか「後ろから見とく」とか、そんな感じで断ってたんやろう。


やけど、大富豪は複数人で顔を合わせて遊ぶカードゲーム。

知識やら言葉の意味みたいに、あとで1人で調べてどうにかなる代物では無かった。


中学、高校と上がっていけば友達にもいろんな出身のやつが増えてきて、ただでさえ存じ上げない大富豪のルールに、人それぞれの「地元ルール」なるもんが絡んでくるようになった。

ナントカ縛りだの、ナントカ切りだの。


そうなってくると、大富豪の基本のキも知らんおれが遊びに混ざることでみんなのテンポが狂うのが単純に申し訳なくなって、ますます大富豪の輪にデビューすることに気が引けてった。


そして高校卒業からもうすぐ10年になろうという、今に至る。


今となっては大富豪のルールを知らんということ自体が話のネタにもなるかな、とも思うし、現に話したときに驚かれたり、「意外に今まで知らずに生きてきたこと」みたいなテーマにトークが続いたりすることもあるんで、知らんこと自体が役に立ってもいる。

もういい大人になって、無知なことにも不必要に引け目も感じないしね。



ただ、そんな今になっても、おれは大富豪のルールをあえて知ろうとは思わない。

むしろ簡単に教えてくれるなよって感じ。



まだしたことのない、まだ知らない事柄に対しては、いつそれをするか知るか、はたまたそれをしないで知らないで生きていくか、選択できる余地がある。



おれには未だ知らない大富豪のルールを、どうせ知るならこういう形で知りたいっていう、理想の「知りしろ」がある。


それは、いつかおれに子どもが生まれて、そいつがある程度すくすく育って、初めてトランプで大富豪を遊ぶとき。

その時に初めて、おれも大富豪のルールを子供と同じタイミングで、おっかさんから教わりたい。

きっとものすごく団欒を感じる気がする。



言い換えれば、おれに子供ができない限り、おれが大富豪のルールを覚える機会は来ない。

人生を賭けた博打やな、これは。





ここらへんまでの話では、「知らない側はその事柄を今後知るか知らないかを自由に選択できる」っていう強みが前面に出てたけど、それに対してすでに知ってる側は何もできず突っ立ってるのかというと、そうでもないんよな。



何かを知ってる人間は、その事柄について、まだそれを知らない人間に「知らせる」余地がある。



おれがせっかくここまで知らずに生きてきた大富豪のルールも、ひょんなことからルールを覚えないといけないシチュエーションに陥れば、不本意な形であってもおれはルールを知らされてしまう。


おれがさっき理想で書いた、我がの子供と大富豪を学びたいっていう計画やって、子供の側の目線で考えてみれば、そいつは自分の親父の勝手な理想によって、必ずしもそのタイミングで知る必要の無かった大富豪のルールを知らされるわけやんか。

おれの理想が叶った時点で、おれの子供はおれと同じ理想をその子供(つまりおれの孫)と叶えたいと思っても、それを実現することは不可能になるわけよ。


「大富豪のパラドックス」とでも名付けようか、この問題。





そういう観点で考えると、「教育」という現場は、こういう子供に対する「知らせしろ」を毎日毎時の単位で目まぐるしく消費してる場、でもある。



子供に勉強を教えるバイトをしてたときに、生徒によく「なんで将来の生活で全然役にも立たない定理とか文法とか覚えなアカンの?」と聞かれた。


そういうときにおれが返してた答えはだいたい、「むしろ学校で無理やり教えられるんがケーキとかファッションじゃなくて良かったと思えよ」っていう感じのことやった。


自分に関わりや興味のあるもんほど、勝手に他人のタイミングで知らされたり教え込まれたりするとストレスになる。

そういうもんは自分のペースで学んでいくからこそ面白い。


受験勉強が大多数の学生にとって興味の湧かない、おもんないものなのは、実はものすごく学生に親切でフェアなことやとおれは思ってる。





世界のありとあらゆる事柄は、知ってるものか知らないものかの2択で分けられる。


学校教育も、社会人経験も、いろんな人付き合いも重ねてもなお、未だ知らないものとして残るようなものの全体数は、今後も年数が経ってけばどんどん減っていくかもしれん。



年々貴重になっていく、まだしてないこと、まだ知らないもの。


し急ぐな、知り急ぐな、気易く知らしてくれるな。






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