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バカには戻れない、という話

執筆者の写真: bunkeiedison
bunkeiedison
2019年8月3日
読了時間: 6分

更新日:2019年8月4日


yolo孟司


実家で家族や親戚に研究テーマをたずねられる度に「あたしらアホにもわかるよう説明できなきゃやってけんよ」と言われる。それ自体を否定するつもりはないが、あたかも「アホ」であることでマウントをとってくるような態度なのでやっぱり不快。



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合コンで女の子に好きな歌手や音楽についてたずねられる度に「あたしらJSBファンにもわかるよう説明できなきゃモテんよ」と言われる。JSB自体を否定するつもりはないが、あたかも「JSBファン」であることでマウントをとってくるような態度なのでやっぱり不快。



構造はこれと同じ話やと思うんやけどな。


決定的に違うのは、家族や親戚相手やと、こっちが我慢してニコニコしとくメリットなんて1つもないやんけ。

まだ女の子相手やったらある程度ガマンしてうまいこと調子に乗せといたら、後々こっちがイイ思いできる可能性はあるけど。


自分が好きで好きで突き詰めてることについて、それに興味ない、しかも聞く気のない、それでいてテメエが属してる派閥の方がマジョリティーやと思ってあぐら掻いてる奴に、言葉で説明するのは、アニマルと話すより難しい。

アニマルは聞き耳はちゃんと立てるから。


聞く気のある相手なら、おれはがんばって話そうとするかな。

一生懸命話した上で女の子に退かれるようなら、おちんちんとともにショボくれて諦める。


酔っ払ってトボトボ歩いて帰るんや。



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冗談は冗談として、「アホ」、というか「バカ」が、そうじゃない人々にマウントを取る現象の根拠って、思い当たらなくもないんよな。


上で引用したエピソードの家族や親戚とやらが実際どういう「アホ」なんかは知らんから、ここからはもう単純に別個として、試験での成績が悪かったり一般教養や常識の足らなかったりするような「バカ」と、そうじゃない「カシコ」の話で考える。



知恵をつける動物たる人間って、カシコになったら、もう簡単にはバカには逆戻りできない。

バカの思考はできないし、バカの悩むことで悩めないし、バカが笑うタイミングで笑えない。

いっぺん習ったり分かったり悟ったりしたら、もうその知識に対して暗かった状態には帰れないんよ。


(ちょっと話逸れるけど、個人的に、禅宗で修行する坊さんにとって一番キツイ修行って、直前の修行で悟ったこと今すぐ忘れさせることやと思うわ。そんな修行実際にはないんかなぁ)


逆に、今はまだバカな奴でも、環境とか教育に依れば、カシコが見てる景色を見れるようには十分なれる余地がある。それが人間のできることやから。

(この話には東大の入学式の挨拶みたいな、それを実現できる周囲の環境に恵まれたかどうかみたいな条件書きは要らんぞ。長くなるからな。おれも1回くらいあんな場で挨拶してみたいわ)


カシコはみんなあくまで「元バカ」で、もうバカにはなれない。

一方でバカは誰もがこれからカシコに成り得る状況にある。


バカ側が、カシコに対して「バカにもわかるように説明せえ」と強気にマウント取れるのは、そのへんの相互通行じゃない関係から来るんちゃうかな。 その点が、冒頭に冗談で引き合いに出した音楽の趣味の違いやらの対立関係とはカテゴリーが違うようにおれには思えるところ。


そういうバカのマウントの取り方に対して、カシコがカウンターで打ちそうな一番のセリフは「じゃあバカのお前らが知恵つけてカシコになれや」とかか。

これやとバカでもわかる正論になるかな。

そのセリフを吐いた時点で、カシコは「バカでもわかる説明」に一歩足踏み入れることに成功したと思うかもしれない。


でもバカが「カシコとバカではそもそも頭のつくりが元から違うんじゃ。わしがカシコになれるか」と反論してきて、またマウントを取り返すかもしれない。

バカにはバカの論理があるからな。


そしたらカシコは「元から頭が違うんならバカにもわかる説明なんてハナからカシコに作れへんやろが」と開き直ってしまうかもしれない。

これは悪手よな。自分がバカの状態から知識の習得を重ねた結果カシコになったっていう事実を否定しちゃうから。

自分が元々生まれつき完全にカシコやったと思ってる人ならそれも成り立つけど。


だからと言って、ここでの反論をカシコらしくバカ真面目(この言葉もオモロイよね)に、「いや、バカとカシコの頭が元からつくりが別な訳ないやんけ。こっちかて、もともと何も知らん状態から、教育受けさしてもろてこうなったんやから…」みたいに説明したって、当然「それやったらバカでもわかる説明をせえって始めっから言うとるやろがい!お前も昔こっちと同じバカやったんなら!」ってバカに再び返されるでしょうな。


ここでカシコのゲームオーバーになるんやな。

「カシコはバカの頭に戻れない」っていう不可逆性に気づいて、「バカ」のマウントの根本にあるものを知るんや。



10歳の不登校ユーチューバー・ゆたぼんの父親で自称・心理カウンセラーの中村幸也氏が、「少年革命家ゆたぼんチャンネル」の登録者数が5万人を超えたとブログで報告した。

中村氏は22日、自身のブログで「Twitterなど匿名のSNSでは相変わらず不自由な人たちが嫉妬に満ちた書き込みをしてきていますが、本当にかわいそうな人たちです。不自由に生きている人たちは自由に生きているゆたぼんが羨ましくて、批判する事でそれを誤魔化しているのでしょう。 『お前は間違っている』と必死で自分レベルまで下げて自らを正当化したくてたまらないのでしょうね」などと厳しい言葉でアンチを考察。



これとか、おれが言いたいバカがカシコに対して取るマウント理論に近いケースやな。


カシコはもうバカに戻れないから不自由や、と。

確かに、バカの側はこっからカシコになるかバカのままでいるか選べる自由がある、と考えれば分からん理屈でもないけどな。



賢い人ほどバカに戻れない自分の存在に気づきやすいのかもしれないが、悲しいかな、賢ければ賢くなるほど、よりいっそうバカには戻れない。



少なくとも老いるまでは。


ボケ(もの忘れ)っていうのは、バカへの不可逆性に対する人間の最後の反抗、というか反動なんじゃないか、とときどき思う。


自然の摂理以上に賢くなりすぎた人間は、自分の意思ではバカに戻れない。

だから強制的にそっちへ戻る機能が働くのかもしれない。








この前、酔っ払ってひどく看板にアタマをぶつけた帰り道に、歩いててそんなことを思いついた。



おれはまだまだバカだなあ。







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なんか嫌味に聞こえてそうでイヤなんやけど、おれは一言もバカが良いとかカシコが良いとか言ってないからな。

単純に人間の知識の差をバカかカシコで呼称してるだけで、自転車乗れる人/乗れない人の分類と一緒やから。


あんまり気にする人は、「人間が一度自転車に乗れるようになったら、自転車に乗れなかった時のフラフラ感覚はもう味わえない」っていう当たり前のことをこの話は言ってる、と解釈してくれればいい。バカでもわかる説明やろ?



バカが勝手に怒ったり、カシコが勝手にイラっとしたりしそうで心配やわ。


誰にもバレないやろうけど。

バカもカシコもこんなもん読まんわな。



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