会報のトラ vol.1


The Day the Music Burned It was the biggest disaster in the history of the music business — and almost nobody knew. This is the story of the 2008 Universal fire. By Jody Rosen
https://www.nytimes.com/2019/06/11/magazine/universal-fire-master-recordings.html?smid=tw-nytmag&smtyp=cur
燃えたもんはシャーナイ。
どうせなら燃えてるとこを見たかったが。
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音楽を保存する方法は2つあると思ってる。
1つは何かしらの媒体に録音すること。
生まれるずっと前の時代に大好きな音楽がある自分にとって、その肉声や姿を形にしてくれるこの発明にはホトホト救われてる。エジソンくんは偉い。
この先、何があっても家に帰ればいつでも聴けるレコードをおれは持ってるし、いまは知らなくても実はものすごく好みのレコードがまだまだあることだって知ってるし、金持ちのおっさん狙いバレバレの値段のリマスター盤セットの内容に歯を食いしばりながらヨダレを垂らすこともできる。
音楽を聴いたときの快感と、それをもっともっと!と欲しがる欲求を味わえるおかげで、自分は犯罪もせずに、ある程度まともに働こうと思える。
音楽がなければ他のものでも、もしかしたら〇〇〇だったかもしれない。
音楽が不自由なく聴けるかぎりは人を脅かすようなことはしないと誓える。
もう1つはその音楽を次の世代の人間に伝えること。
ニューオーリンズで活躍したギタリストにギター・スリムという人がいる。
この人は録音という形での保存はされたものの、映像は残されていない。
重大なのは、彼の最大の売りが「ステージでの強烈に派手なパフォーマンス」だったこと。
カラフルなスーツと髪で、有り得ないほど長いシールドをギターにつないで客席からハウスの外まで練り歩いたと聞く。50年代に?!
その信じられん光景そのものは、それをリアルタイムで見た人たちの目撃談でしか残っていない。
当時貴重なフィルムカメラで奇跡的に録画されたステージが、これまた奇跡的に南部のどこかで発掘でもされん限り、おれはギター・スリムのライブは見れないと思ってた。
てっきり。
数年前、ニューオーリンズのジャズフェスティバルでバディ・ガイのライブを見た。
彼はルイジアナ出身で、ギター・スリムを生で見たこともあるし、シカゴに行ってからはマディ・ウォーターズらいろんなブルースマンにもお互いに影響を受けあった。
その後もジャニスにジミヘン、クラプトンやストーンズみたいなロックスターとも共演してきた。
そんなバディのライブのレパートリーには、少なくともおれが見たあの日には、マディのNineteen Years OldやジミヘンのVoodoo Childが入ってて、もう死んだブルースマンたちの曲をバディ流のトゲットゲのギターで弾いてた。
そんでギター・スリムのThings That I Used to Doをやったときに、おれは悟った。
マディやジミヘンは本人の映像も残ってて見たことがあるというのもあるが、今この時代に生きてるおれがギター・スリムのライブを再生できるのは、奇跡的なフィルムの大発見みたいな視野のチャイチーことじゃなくて、スリムがキレッキレでステージに立ってるのを生で見て影響されたバディ・ガイっていう人間を通してなんやと。
おれはあの日ニューオーリンズで客席まで練り歩いてきてド派手なギターを弾くバディを目の前で見て、大昔のギター・スリムをも生で見た気がした。
2つ目のほうの例え話が長くなってしまったが、要するに既に鳴らされた音楽を捕まえて保存するには、何らかのメディアに録音して大事にとっとくか、その音楽を好きな者の手で再現していくかのどっちかしかないと思う。
ここで、形だけは秘密結社の会報らしく、オフザケでわざと大げさに熱弁を振るいたい。
先に引用したニュースにもあるとおり、
モノや権利の管理体制やハード面の保護技術に長けた現代社会にらしくなく、音楽の保存第1の方法に大きな欠陥が露見した。
しかもそいつらのケツ穴はレコード針よりも細く、史上最大のマスターテープの焼失を、いっそのこと史上最高のロックンロールショーとして生中継するなり工夫を凝らすどころか、今のいままで隠蔽するというエンタメ企業の風上にもおけない大失態、大スベリを犯した。
アホみたいな値段のついたパンクグッズを思いっきり燃やしたマルコムマクラーレンの息子を見習え。あいつ映画まで作るらしいぞ(※1)。
では第2の方法では音楽は今後もきちんと保存されていくのか?
そんなわけあるか、こっちこそ現代社会においてはますます向かい風が吹いてる。
娯楽のメディアのバリエーションだけがアホみたいに増えて、楽曲の権利保護みたいなわけのわからん縛りと、何か知らんがたぶん偉い人たちの利権と、曲を検知したり識別したりする余計な機能がこんがらがって、曲のカバーもできない、替え歌のひとつも歌えない、著作権のひとつやふたつに目くじらを立てる(※2)監視社会みたいなヘンな娯楽もどきができた。技術はエジソンで止まっとけや。
直感的に言って、おれらの大好きな音楽は、この肥大化したヘンな娯楽もどきに隠れた目立たないところで、権利の鳥かごの中でロクに餌ももらえず、それにしては法外な値札を付けられて飼われている。
ここにきて、せっかく20世紀がルーツに沿って作り上げてきたロックや歌謡曲は、それをバカ高い正規の値段を払って楽しめるマニアだけのものになった。
曲の権利を守りすぎて、肝心のその曲は檻の中で今後育ててくれるはずの若者に聴かれることなく痩せ細っていく。
若者のほうもそんな音楽の存在なんか知る機会もなく、著作権を姑息に切り抜けたような安い音楽を形に残らないメディアで聴いてその日暮らしに消費する。
そうして育った耳はきっとファストフードみたいな根も葉も無い一過性のロックらしきものしかもう受け付けない。
そんな耳からおれらの大好きな音楽がこれまでどおり作られるか?
2つの保存方法に立ちはだかった問題は実は関連性があって、どうせ燃えたマスターテープも、燃えてなくたって今後もシニアマニアに向けたリイシュー盤になり得るだけの運命やったろうな、と思う。
マスターテープだろうと楽曲そのものであろうと、檻の中に詰めるな、と言いたい。
どうせ燃えたらいっぺんに失うマスターテープなら、世界各国の、音楽好きのいる至るところに分散してかくまえ。
必要なときに世界各地の音楽好きが協力してひとつに集めたらええやないか。
ひとつなぎの秘宝みたいでウケるぞ。ワンピースは実在する。
音楽の著作権も、そんな守るほどの音楽が今の業界にあるか?
鳥かご持って死んだオウムのコントでもして見せてやろうか(※3)。
要するに、誰もがみんないろんな音楽に出会えるように、もっと音楽を解放せよ。
貧しいすさんだ家庭の悪ガキにもロックンロールスターはいたんやぞ。2人も。
さらに要すると、ただでさえもっと早くに生まれてたら...みたいに絶えず昔の音楽に憧れてるおれにとって、結局この現代においてもおれより金を持ってる、必然的に年上、つまりおれより早く生まれてる音楽好きのほうがいろんな音楽を享受できる仕組みが妬ましくてしかたないんよ。
あんたらばっかええライブ行って、ええ音源聴けて、おれらには何が残るかなぁ。
いま生きてる音楽は、文字どおり生のライブの音楽にある。
おれがニューオーリンズでみたジャズフェスのように。
日本でもアホみたいにフェスばっかしてるとおり、ライブの楽しさは健在っぽい。
そのライブをする肝心なバンドたちが、これまでの音楽の土台にしっかり立ったものであるために、若者が聴いて育つ音楽業界を、権利だけ一丁前なヘナチョコにすな。
ヘナチョコファッキンジャパンフェスで陽キャだけが騒ぐようになってしまったら、おれらはもう怖くて近づけない。
おれは大好きな音楽を聴くために、作るために、たまに人前でするために、犯罪もせずに、ある程度まともに働こうと思う。
音楽が不自由なく聴けるかぎりは人を脅かすようなことはしないと誓える。
でも、あんまこんなチョンボされてると、まじでいつか暴れるぞ。
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※1
「マルコム・マクラーレンの息子、パンク・コレクション焼却イベントのドキュメンタリーを製作」
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30996
このドキュメンタリーでは、積極的な行動が新しいパンクであり、70年代のパンクが「必要のないものを世間に売りつけるという、単なるマーケティングの練習台になってしまった」と主張しているらしい。
※2
ザ・タイマーズ「ロックン仁義」(1989)
古い奴だとお思いでしょうがねぇ ちょっと言わせておくんなさいよ
気がつきゃ かるいサウンドばっかりじゃござんせんかい
何をうたってんだか よくわかんねぇ
英語だかなんだか聞き取れねぇ様なサウンドばっかりでごぜえやす
遠い遠いあのころのサイケデリックサウンドや リバプールサウンド
アートロック リズム&ブルースやなんかは
一体 どこいっちゃったんでございやしょうね
冗談のひとつもいえねえ 好きな歌さえうたえねえ
替え歌のひとつにもいちいちめくじらを立てる
いやな世の中になっちまったもんでござんすねぇ
えぇ 社長 どうなんだい
※3
『死んだオウム』(しんだオウム、英: The Parrot Sketch / Dead Parrot)はテレビ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』の中の有名なスケッチである。『空飛ぶモンティ・パイソン』第1シリーズ第8話『正面ストリップ』で放送された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/死んだオウム
店員が客にオウムを売るが、オウムは(最初から?)死んでおり、客はそれについて苦情を言いに店へ再び訪れる。しかし店員はオウムは休んでいるだけだ、と言い張る。
(フィヨルドが恋しいのかも、羽根が綺麗、ホームシックなどと)詭弁を弄する店員にいらいらし始めた客は、死んでいることを証明するためオウムを起こそうとするがもちろん反応はない。その後畳み掛けるように、このオウムは死んでいるということを英語の様々な表現で以下のように主張する。
「ホームシックなんかじゃない。お亡くなりになったんだ。このオウムは、この世を去ったの。事切れてしまった。息を引き取り、神の御許に逝かれた。これは『故オウム』。死体。命尽きて、永遠の眠りについている。釘付けされてなきゃ、今頃はひな菊いっぱいのお墓の下でおねんねしてたはずなんだ。オウムはその生涯に幕を閉じ、昇天なされたの。これは「元オウム」」。(「これは『元オウム』だ」(英: "This is an ex-parrot!")という部分はアホらしさで有名)。



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