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あなたにオススメの映画の話

執筆者の写真: bunkeiedison
bunkeiedison
2020年5月3日
読了時間: 6分

ロゴをととのえました



この日記の中でも日常会話の中でも、おれが好きな音楽や映画の話をするときは、いつも結局自分のために喋っているような気がする。

誰かにそれを聴いてほしいとか見てほしいっていう気持ちより、それを好きな自分を嬉しがって再確認してる、というか。


大学生の頃ぐらいまでは、特に10代の頃とかは、「こんなに良いもんがあるからお前もぜひ聴けよ」っていう気持ちのほうが強かった気がするんやけどな。

人の感性なんて人それぞれなんやけど、それでもこの素晴らしさはみんな分からなオカシイやろ、みたいな絶対的な根拠のない自信。

思うに、あの自信が体じゅうをみなぎってる状態こそが思春期と呼ばれるんじゃないか。


今ではもう何となく分かってる。

おれの好きなもんに誰しもがピンと来るわけじゃないのは、決してそいつらがそれにまだ出会ってないからではなく、単純に嗜好が違うだけや。

「こいつらこんなオモロイもん知らんと生きとるんか、じゃあおれがこの素晴らしさを教えたろう」、じゃあないねん。

ほんまにこう思ってたもんな、初めてパンク聴いたとき。


もちろん、おれが好きなものの話をしたことで、それに共鳴してそれにハマり始めた知り合いも中にはいた。

でもそれは、単純にそのものの良さもあったやろうけど、おれがあまりにもそれを好きや好きやと言ってるサマ自体が取っかかりになったケースもあったんじゃないかなと思う。

こんな年中ノーテンキなぼーっとしたアホが、好きなもんに関してだけは躍起になって熱を上げとるその様子が。


だからいつ頃からか、好きなものの話を人にしてるときも、「いきなりこれ言っても分からんか」とか「まず聴き始めてもらうならこの辺からかな」とか、そういう考えをせんようになった。


結局のところ、「それを好きなおれ」がどうなんかって話よ。

それまでの人間関係の中でおれという人間がだいたいどういう奴か認知されてたら、そういう話題のときにただただ好きなものを好きなように喋ったとしても、「あぁコイツ、これ本気で好きなんやろうなぁ」っていうのは伝わるもんや。

そう悟ってもらえた上で相手がそれに興味を示してくれたら、それで良い。


たまに書いてる例え話かもしれんけど、宗教観もそうなんよ。

休日にインターホン鳴らしてきて、いかに神様が偉大かこっちが聞いてもないのに説いて来る奴らがやっとる宗教は、おれは信じない。

おれが何らかの宗教を信じるとするなら、そのきっかけはきっと、その宗教を信じてる人たちが信仰に打ち込んでるそのサマをおれが美しいと思ったときや。

歌でも踊りでも、修行でも何でも。

そのほうが絶対、ウソが無いやないか。


おれが修行してる坊さんを見て「仏の道も魅力的かもしれんな」と思ったとしても、その坊さんはおれにそう思わせるために修行してた訳じゃないやんか。

自分のためだけに(この例え話やと「仏様のために」も入ってきてややこしいけど)本気でやってたことが、その周囲にたまたまいたおれを惹きこませた、というか。

その坊さん自体は自分にどれだけ信心があるか再確認するために修行してただけで。


おれも自分の好きなものに対してはいつまでもそういう風にありたいんよな。

自分が何かを好きでいるサマが誰かの琴線にふれれば良い。数人程度でも。


「解放のトラ」とかいう名前つけちゃったけど、過激に他人を引きずり込んだりすんのは苦手や。

求心力が無いんよな。カリスマ性って言うんかな。

カリスマ性が無いって言うと何かシャクやな…




ありえないほど前置きが長くなってしまった。


そう、そんなおれでも、一般的な会話のレベルでは、ちゃんと人にオススメする体でのいろんな「好きな〇〇は?」のストックはあるんよ。

初対面同士とかで急にマンキンで自分の好きなもん喋るのも疲れるからな。


ただそういうスタンスのときに出す対象も、ちゃんと好きなものであることには変わりないんよ。

話題に繋げれそうなものを選んでるだけで。


きょうは家に引きこもりがちな皆さんにおれのオススメの映画でも紹介しようしてたんやった。


「フォーエヴァー・ヤング」(1992・米)です。


これは何気ない会話の中で映画の話になったら決まっておれが出す作品やね。

公開がおれの生まれ年と一緒ってのもあるし、古いアメリカの車や飛行機、街並みが出てくるのも自分の趣味と繋げやすい。

音楽でいうと劇中におれの大好きなビリー・ホリデイが流れるのも良い。

いろいろと話が繋がりやすい。


ただ、この映画の何がいちばんスゴイかって言うと、

ほんまにこれ以上何も無いっていうくらい、

めっちゃくちゃ普通の映画なんよ。


なんか、100人が「映画みたいな話」って思い浮かべたらその平均がそっくりこの映画の筋立てになるんちゃうかっていうくらい、ザ・映画。

そんで長さも100分程度で見やすいサイズ。

ちゃんとすごく良い出来の話で、構成も申し分無し。


逆にあんま無いよ、ここまで映画らしい映画。

初めて見たのは深夜の時間帯にテレビでやってたのを高校生くらいのときにたまたま見たんやったと思うけど、そのときすでに「うわ、めちゃめちゃ映画やん!」って感じたもんな。


あれから今に至るまで、いろいろと映画に出会ってきたけど、このフォーエヴァー・ヤングに限っては、いつ見直しても感想はやっぱり一緒なんよな。

「うわ、めちゃめちゃ映画やんけ!」。

なぜか定期的に、数年に1回くらいのペースで見返しちゃう。

DVDも持ってるし。

おれの家にある音楽系以外の映画のDVD、唯一これ1本よ。


これ、スゴイことなんよ。

これからの人生でもおれはいろんな映画を見ていくやろうけど、おれなりの鑑賞眼のどこかに常にフォーエヴァー・ヤングがおんねん。

いつ見ても変わらない安心のメートル原器みたいな存在として。


常識をひっくり返したみたいなナンセンスな分野が好きなおれにとって、この絶対的な基準を見つけれたのはすっごいありがたいんよな。

常識を見失ったらナンセンスはナンセンスじゃなくなるんよ。


よくさぁ、例えば夏目漱石の「こゝろ」とか。

学生の頃読むのと大人になって読むのでは感想が変わる小説、みたいなの言うやん。

それはそれで自分の成長というか、経験してきたものの実感ができる尺度やと思うんよね。


これはその逆。

高校生で見ても、大学生で見ても、社会人で見ても、ずっと変わらずそこにいてくれる安心感。

どんだけ冒険した映画探索をしてきても、ここに帰れば一旦落ち着けるようなザ・映画。

それがフォーエヴァー・ヤングです。


一度見てみてください。

これに関してはちゃんと自信を持って、オススメという形をとれる。

だって可もなく不可もないんだもの。

良い映画よ、ほんまに。


あなたの映画ライフのメートル原器にオススメします。



そんで、この災難の日々が過ぎたら、また見返してごらん。

まったく感想変わらんから。




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