会報のトラ vol.10

更新日:2019年11月12日

「武蔵小杉ざまあ」「ホームレス受け入れ拒否」に見る深刻な日本社会の分断
武蔵小杉の惨状について一部の人々が、「あそこはハイソっぽくてムカついてたからざまあだわ」とあざ笑うことは、構図としてはあまりにもわかりやすくて飛び付きたくなるかもしれない。 だが、事態の本質は、貧富の差以前に当然のように「同じ人」ではなく「鼻持ちならないニューリッチ」という「別人種」、他者を「不愉快な種族」と決め付けていることにある。これが「ムサコのタワマン族」「ホームレス」というレッテル貼りに共通する心理なのである。
「新語・流行語大賞」ノミネート30発表 ラグビージャパン旋風で5ワードノミネート
選考委員会は「用語の『明』と『暗』がはっきりした年」としており、相次いだ台風被害関連で「命を守る行動を」「計画運休」。高齢ドライバーの事故が多発し、「上級国民」「免許返納」も選ばれた。
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屁理屈をこねたような論理学に、なまじっか片足突っ込んで勉強したことがあるからか、自分のクセとして、物事の逆や裏をとったり、何らかの2項対立をでっち上げたりして考えることが多い。
文系や理系とか、ロックかロックじゃないかとか、そういう簡単で大胆な分けかたをした上で、でもこの点ではこうだとか、あの点ではああだとか、簡単には区分できないようなものを引っぱり出してきて、可笑しさをつつく。
不思議の国のアリス的なナンセンスの常套手段のひとつですな。
ちょっと話は逸れるが、最近では、こういうナンセンスな論理学を人に分かりやすく説明するために、ある程度自分で簡単な例え話を作れるようにもなってきた。
(「どんなこと勉強してたん?」って聞かれると、文系は本当に面倒くさい。)
例えば、「三びきの子ぶた」という童話がある。
オオカミに吹き飛ばされないような頑丈なレンガの小屋を建てた子ぶたが偉かった、っていう話やね、ざっくり。
このお話では、「オオカミに吹っ飛ばされない小屋」とは、ひとえに「オオカミの凄まじい息吹きに耐えうる頑丈な小屋」を理想としてる。
やから、もしお話に続きがあったとして、オオカミがロングブレス呼吸法か何かを習得して、レンガの小屋でも吹き飛ばせるようになった、ていう展開が増えるなら、順当に行けば子ぶたのほうは鉄筋コンクリートの小屋でも建てるんやろう。
それがこの童話のなかでのルール、常識。
これを、ナンセンス的に考えると流れは変わる。
「オオカミが確実に吹き飛ばせない小屋」とはどんなものか、ていう問いに対して、別の視点で、例えばこんな答えをつくる。
一匹目の子ぶたが建てて、とっくに吹っ飛ばされたワラの小屋。
あれは、鉄筋コンクリートの小屋より、防弾壁を何重にもこしらえた小屋より、オオカミに吹っ飛ばされない最強の小屋や。
なぜなら、もうオオカミに「吹っ飛ばされ尽くしてる」から。
どんなに息を鍛え直しても、吹っ飛ばされ尽くしたものを吹き飛ばすことはできない。
だからオオカミが確実に吹き飛ばせない小屋と言える。
…みたいな、どうしようもない論理を立ててヘラヘラ笑うのがナンセンス文学なんやね。
今の話は、直接的には今回のお題と全くもって関係なかったんやけど、おれの中では、そういう変な考えをしょっちゅう膨らましてるおかげで、引用記事のような、涙が出るほど安直な思考回路にならずにこれまで生きてきたんかなぁ、と最近思っとって、そこまで主題と遠い話とも感じない。
まぁ、安直じゃないのは生きるうえで幸せか?と言われると、そうでもないかもしれんけどな。
いろいろなことに変なことを考えちゃうのもな。
で、要するに、2項対立のでっちあげを、そのでっちあげのまま完結しとるんよな、タワマン族にしろ、上級国民にしろ。
おれみたいなナンセンス主義者なら、そこからやっと舌なめずりしながら「2項対立させたところで可笑しなとこ突っついてみよか〜」って思うところで、思考が帰結しとんねん。
缶から出したスパムを焼きもせずそのまま食っとる感じがするわ。
いや、それでもまぁ美味いやろけど!みたいな感じ。
流行語大賞候補も出たとこやし、今年の他のニュースも思い浮かべてみると、嫌にそういう単純な2項対立の成り立ちやすいもんが多かった気がするな、確かに。
表現の自由なり何なりもそうなんやろ、きっと。
自分は自分、相手は相手で切り分けすぎて考えてたら、寂しくなると思うけどなぁ。
お互い対岸に追いやって騒ぎあっとる以上、どっちも大差ない似たもん同士やのに。
最後に、よくある2項対立の「1歩その先」を突いてるような例え話をもう1個載せて、きょうは終わりです。
酔ったときによく、こういうの思いつくんよな。
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音楽が無かったら、おれは今頃まともに生きれてるのかも分からんなぁ、て思う。
音楽好きがベタに言ってそうなセリフでダッサいけど、思うからシャーナイ。
おれは音楽に感謝せんといかん、それは分かる。
でも、もっと音楽に感謝せんといかんのは、おれ自身じゃなくてむしろ、おれを悩ませる原因を作ってきた奴らのほうやと思う。
たとえそいつらが音楽に興味が無くっても。
だって、もしおれに音楽が無かったら、そいつらはおれを間接的に殺してしまってたかもしれない。
何より、おれがそいつらをブッ殺してたかもしれない。
よく言うダサいキャッチコピーの「NO MUSIC, NO LIFE」、
あれは音楽好きよりむしろ、音楽なんぞどうでもいいっていう奴らに向けられた脅迫文やと、たまに思う。
そう思うと、途端にカッコいいフレーズよな。



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