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エナジードリンクとろうそくのロウの話

執筆者の写真: bunkeiedison
bunkeiedison
2019年7月23日
読了時間: 6分

潑溂ぅ

①

いつごろやったかな、もう何年か前のこと、どこかの町を歩いてたときの話。

何となく、神戸らへんだった気もする。住吉とかかな? …ああ、まだ就職活動をしてた頃かもしれない。 その頃やったら住吉にもアテがある。まあ場所は大した問題ではない。 道路沿いに老人ホームがあって、玄関前を通り過ぎて歩くと、併設されたゴミ捨て場の前も通る形になった。 何となしにゴミ捨て場のようすも横目で見ながら歩いてたんやけど、仕分けされたゴミ袋のうち、缶だけが入れられたものに目が止まってしまった。 パンパンの袋の中の9割くらいがモンスターエナジーやったんよ。 ご老人が揃ってモンスターがぶ飲みしとる画が頭に浮かんで思わず吹き出した。 老人とモンスター、ていう組み合わせがあまりにおれにとってスキャンダラスやったんで、その帰りに30秒くらいの曲を作ったのを覚えてる。 ビートルズのHer Majestyみたいに、自分がアルバムを作るなら最後のボーナストラックに入れてもええな、なんて思いながら。 老人ホームのゴミ箱には モンスターエナジーの缶が 山積みに捨てられてんだ あああ 風前の灯火に ありったけのガソリン レギュラー満タンで 火は燃えてるときに 消えることなんか考えてないんだ 考えてないのさ 一度もボイスメモにも録音してないのに、まだ頭ん中でメロディー込みで覚えてるわ。 よほどインパクトあったんやろうな。 「火は燃えてるときに消えることなんか考えてない」っていうのは良いフレーズやと思うわ。 おれの好きなロックの魅力に通じるものがあると思う。 中学生のおれが、ピートタウンゼントがギターをぶっ壊したりジミヘンがギターに火を点けたりヒロトがチンポを出したり、シドがラリッラリのまま時分の身体を切り刻んでベースで客をぶん殴ったりするのにすら美しさを感じたのは、そこやと思うんよな。 ぶっ飛んだことを1秒先すら考えず現在形でやってる人間なんて、日々の暮らしの中ではあり得ないことやったもん。 ちょっと前の映画のタイトルでヤング@ハートってあったやん。 ご老人のコーラスグループがロックを歌うやつ。 あれとは別種類のマジモンのロックやなあ、て思ったんよ、老人にモンスターっていう光景は。 心は若く、ていうレベルじゃなくてさ。 火は燃えてるときに消えることなんか考えてないんだっていうのは。 まあ、それはそれだけの話。

たぶんあの曲、今後も録音はしないかもしれんな。自分で完結してしもた。


②

「死神」ていう落語がある。 主人公が死神にそそのかされたことで人間の寿命をいじくるようになる噺。 まあコレ読み終わったら聞いてみてや。 そこで人間の寿命の象徴になっとるのが、火の灯ったろうそくなんよ。

危篤の人間のろうそくの背はすっごく短くなってるから、その火が消えないうちに、もうちょっと背の高い別のろうそくを継ぎ足せば、たちまちそいつは元気になる。


それはもう、消えないように慎重に慎重に。

さもないと消えるよ、消えるよ、消えるよ…てなもんで。


おれはそこに、おれの好きな音楽のもう1つの側面を夢見てるんやな、これが。


いつかの記事でも似たようなことを書いたが、現代のおれらが記録媒体を通じて再生できる音楽には限度がある。

レコードの普及やカメラの普及、もっと言えばあの頃YouTubeがあれば…みたいな技術的な遡及の限度のこと。


その縛りに制限されない音楽の記録が、「生きてる人間」を通じて先人の音楽を受け継いでいくことなんよ。


それは、まさしく消えかけのろうそくに新しいろうそくを持っていくような行為なんやけど、そんな危うい行為こそ、人間が人間である限り自力で確実に受け継いでいける手法やと信じてる。


技術の進歩による新旧の媒体同士の互換性より、一貫した同じ人間同士の系譜のほうが、結局は説得力があるんじゃないか。

知った頃にはとっくに死んでるブルースマンの一方で最近にいたるまでブルースをやり続けてくれてる大ベテラン、来日公演を逃したら二度と会えないような憧れのミュージシャン、70年代から大阪でバリバリ好きな音楽を演ってきた日本の大先輩たちに触れるたびに、その思いは募る。


おれが①みたいな燃え尽きるまでただ燃えるろうそくの姿を完コピせずに今に至るのは、「ろうそくを継ぎ足す」美学というか、カッコつけて言うなら大昔からの人文学の系譜の理にも美しさを覚えるからやと思う。

正直奇しくも今年が忌まわしき27の年、この考えがなければ喜んでおれは①の真似事で死にたいと思ってるやろうな。

おれ、今、多分社会にいてもいなくてもいい気がするもん。おれに限らずたいていの同世代はそうかもな。

(「気がする」ってだけやで。そういう「気がしてる」奴が多くないか、っていうこと。)


何か、「15の君へ」みたいな歌あるやん。手紙か。

おれは逆にパンクロック万歳の15の自分から「今すぐ死ね!」って言われると思うわ。


でも、おれの好きな音楽の系譜の、ゴミ溜めみたいな端っこの現在で、きょうもおれは70年のライブ映像の記録の映画、「フェスティバル・エクスプレス」の上映をZepp Nambaでみて感動してる。


そんな好きな音楽に影響されて、ほんの少しずつ自分でもギターを弾いたり作ったり、曲を書いたりもしてる。

そんな暮らし方が将来いつか、縮んだ音楽のろうそくに、何のプラスにもならないほど短くても、ちょっとした延命措置になるかもしれないから。


おれの夢はいつでも、ブルースマンになることやけど、それは今すぐ叶えなきゃいけないことじゃない。


そこらへんのことを、15の君に殺されかけたらとっさに言うかもしれんな。

分かってくれんやろうけど。

犬養毅みたいになるかな。




③


そうこうしてるうちに、アート・ネヴィルが死んだ。


ニューオーリンズ・ファンクの偉大なパパ。

ミーターズの、なんて言うか、「隙のあるファンク」は、いつでも聴いてるおれが付け入る器があった。懐が深いっていうんかな。


ニューオーリンズにすっかりのぼせきったおれは、2年前念願のジャズフェスティバルを現地まで見に行った。

そこにはアートが先導を切ってきたネヴィルファミリーがたくさんいた。

何より驚くことにはミーターズがオリジナルの4人揃ってフェスのトリの舞台に上がってた。

このホームページでも見聞録のとこに書いてるから、読者の中で悔しがる奴がいたら読んでみろや。

悔しがるのは真っ当な反応やと思うで。


ニューオーリンズにはもちろんアートの、パパ・ファンクのろうそくを継いだ奴らがいっぱいいる。

アート自身は去年まで前線にいつづけたらしい。①みたいな人生もある程度歩めてたんかな。

だとしたらええな。



①的な人生に②のろうそくがくっついていくのが、おれはいちばん良いと思ってる。




④ 冒頭の話やけど、 その老人ホームで働いてはる職員さんとかがモンスター飲みながら頑張っとんのが実態かもしれんな。




【参考】



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